戦争慰霊、ふたたび
遺品から祈祷で問い合わせる
横笛サロンには、本日、8月20日、満州事変に参戦されたご遺族をもつ方から、日の丸の旗や陸軍手帳、戦争に関する遺品がもちこまれました。
話をお聞きしてから拝んでみますと、
「段階絶壁に落ちていった仲間」
「右足がいたい。そこに仲間の身体があった」
「戦争でいのちを失った知人たちが気になる」
「水がのみたい」といったキーワードが並びました。
5月3日以来、戦争関係の慰霊はすこし意識的にシャットアウトしていたのですが、
秋に向けてふたたび戻ってきています。
拝んだあと、依頼者さんにひとしきりお伝えしましたら
「馬で河を渡るとき、河に流されてしまった仲間がいた」
「戦地では世話をしてくれた女の人たちがいた」と
聞かされたことがあると、いま、思い出したといって話されました。
お盆の前に、何かしんどいとおっしゃって遠隔祈祷をさせていただいたのですが
そのときに出てきたキーワードをもって戦没者がお寄りだったのです。
死者へのレクイエム
来年、令和7年は戦後80年です。
戦後50年のとき、わたしは何かしらの慰霊的な書物を著したくて、いろいろと取材をしていました。
あれから30年。
じつは陸軍大尉だった祖父から、中国戦線における、むざんな戦争のはなしをきいて、これは小学二年生のときでしたが、泣いてしまったことがありました。
祖父は「それが戦争や…」と悲しそうに言ったので、逆に恐怖心が覚めてしまったことがありました。
わたしのなかには死者へのレクイエムのようなものが、常時顔を出してはいないけれども、いつもあったのかもしれません。
北支派遣軍の慰霊は令和4年秋に行っているので、中支について、ことし令和6年秋に行うことができたらよいと考えています。慰霊祭という大規模なものではなく、テーマを決めての集中的な慰霊です。このように、折に触れて必要な慰霊を行っています。
次のご祈祷は…
サロンには、フランス人のご夫妻がお見えで、健康息災ご祈祷をしますと、奥様が始終、ぽろぽろと涙を流されていました。
こちらの方のご先祖もまた、世界大戦になんらか関係していると直観しました。申し上げはしなかったけれども。
きょうはすこし重い十一面観音さまご縁日です。