御魂世界からの期待

ひとつの女の人生から

若き日、未婚で出産をしたけれど、産後数日でわが子は父親側の家族にいやおうなくひきとられてしまいます。

そんな心の傷を晩年になっても抱える人とであいました。

後年、彼女自身は幸せな結婚をしたので、そのまま誰にも言えずに抱えてきた葛藤と苦悩が奥深くに残ったままになってしまいました。

何本もの色の刺繍糸がもつれたような内面は、じつは、その方に巫女性があり、彼女をとりまく

人間関係の中で、「供養を期待された支柱となる女性」という御魂世界からの期待があることがわかります。

自らの悩みとしておっしゃることは、もちろんそれはそうなのだが、その旧相には、そんなポジティブな他者のまなざしがあることが多いです。

現世の目からみたら、「生後まもなくのわが子と離れてしまった悲しい運命」となることが多いですが、その事象には、複数の窓が開かれていて、悲しいだけでないいくつも枝わかれを知ることができるのです。

旧相にいたる

子どもの父親は後年、不審死を遂げることとなっていました。

その方が成仏したくて、背後にこられていました。

不審な亡くなり方はなかなか成仏することができません。そうすると近しい有縁の方について

ご供養を求めに来られることになります。

そんなご供養をわたしはここ4年あまりずっと行ってきました。

供養法要のなかで…両家の先祖の方々も…ご供養をすることにしたら、旧相に、外国へ転地された御魂もいらっしゃいました。

香炉では、線香護摩かと見まがうほど、炎がまっすぐに上がりました。

理趣経がおわるころ、さあっと日がさしてきました。

わたしは基本的に、ご祈祷もご供養も弘法大師が高野山にお持ち帰りになられた経典を用いて行います。おまじない的なことは、信者さんから見たらしているときもあるようですが、真言僧の作法により行います。

真言の祈祷

古神道の神様がおわすので、そこに委ねることが多いです。

また、おそらくわたしの拝みの独特なところは、心が入ってしまうところでしょう。

また御魂さえ自分自身の中に入れてしまうようです。入ってこられるというか。

で、彼女の悩みは、供養後、すこしずつすこしずつ軽くなり、いずれは昇華されます。

つまり、人間が表層で感じる悩み苦しみは、本質ではないということなのです。

もちろん当人はたいへん苦しんでおられるので、癒しが必要だし、私自身は相談&加持祈祷の専門家としては少しでも楽にしてさしあげなければなりません。

真の原因は御魂世界にあることが多く、それを解に導くことで、現世の悩みは「どうしてああして長年悩んでいたのかしら」と思えることもあるほど、昇華していきます。

ただ、ご祈祷(ご供養も)は本質(神仏)に間違いなくアクセスしますので、人間界の価値観や通常の感覚とは違ってきます。必ずしも、施主さんご本人が抱いている苦しみをとることが誓願になるとは限りません。一番楽になるように、祈祷者が判断して順に行っていくことになります。

人間的な悩み苦しみが、神仏と直接的につながることを間近でみさせていただき、その橋渡しをすることはたいへん興味深いおしごとです。感謝合掌