DEAR 信者さま

手をつないで「自律」へむかおう

信者さまからSOSのメッセージやお電話があることがあります。

でも電話に出たくても出られないときもあるし、メッセージをかえすタイミングを逸してしまうときもあります。

何回かご祈祷を受けてくださった方々は、とても信じてくださるのはすごくうれしいことです。

ただ、信者さま、目標は自分自身で祈れるようになることです。

電話をしてもいいです、メッセージをお送りくださってもいいです。

でも最終的には「自律」で自分自身で解決に導くことができる女性になりましょう!

わたしはそのお手伝いをしていきます。

そんなベクトルで繋がる信者さまが集まれば、さらにさらに何倍にも強くなり、社会を変えることができるんですよ。

社会をかえる、それは愛にあふれた社会にすること。

弱者が泣いて仕方がないとあきらめる社会ではなく

循環を起こし、かなしみもよろこびも分かち合い、風通しのよい社会とすること。

これは女性たちが信仰の核になって初めてできることなんですよ。

自分の子どもや家族だけのことを願うんではありません。

そして、男性たちも仕合わせになる道なんですよ。

どちらが上である下であるということではありません。

ご神仏の御前で、手をあわす私たちはすべて平等です。

分断社会の意味

いまの時代、ひとりひとり、乗り越えなければならないものが千差万別なので

一時的に分断社会になっているのですよ。

これは、何が悪いからということではなく、一連の流れなのです。

たとえばサラスバティ河、弁才天さまが起こす水のウェーブ。

あまりにも偏りすぎて、ほんとうに大切にすべきことを忘れた人間世界に対して

ご神仏が起こしている波というのは、たしかに昨今大きくなっていると感じます。

だから、ただお願いすればよいというのではなくて、現状を見つめつつ、

大切なことを一緒に考えて、そこからいのりを生み出していくことがたいせつです。

そのためには、ご神仏のお言葉を聞かなければならないのです。

弁才天さまは「水は方円、思いやりを学べ」とおっしゃっています。

嶽弁天月参り

信者さまとご一緒に、5月8日、嶽の弁才天さまにおまいりしました。

毎月月参りを続けています。

信者さまは、弁才天さまから水子供養をしなさいといわれ、そのあとで、私の顔を思い出してくださったそうで、関東からおまいりになりました。嶽の弁才天さまにご挨拶をしてから、三石不動尊で水子供養をすることを希望されました。

嶽の弁才天と三石不動尊は、歴史的に少しつながりがあります。

わたしと嶽の弁才天は、高野山で結縁したご神仏の中で、一番古いつながりです。

知人の行者さんがいうには、妙泉はいつも弁才天さまからお示しを受けて行動してきていると。

わたしはいつもいつも自覚が後になるのですが、そうかもしれないと思いをいたします。

嶽の弁才天さまはもともと神さまでもありますが、仏像としておわす以上、それは仏さま。

だから親しみやすく、具体的な指示も含み、わたしを引っ張って行ってくださいます。

山麓の奥の院ともいうべき橋本市の三石不動瀧は純然たる神様です。わたしは拝む方法論の中で、胎蔵大日さまとお呼びしていますが、本質は純然たる神様です。それは岩盤と水が象徴する古神道の神々だからです。お大師さま21歳のご修行の地、お大師さまははじめ古神道の神々とお出会いになられていると思います。

いまは、多くの人に共通意識をもっていただくことよりも、その事実を自分自身のなかで深め、わたしが結縁しているご神仏はいかなる存在であるのか、なにをおっしゃっているのか、なぜわたしをこのように動かしておられるのか、そのほうがとても大切なことになっています。

信者さまが「毎日毎日、さまざまな案件に向き合って拝まれてたいへんですね」と言ってくださいます。助走が加速するように、光りのプリズムのように広がり、さまざまな御魂とのお出会いがあります。

師匠が「複数の案件を分散して拝みなさい」とおっしゃったゆえんです。

この感覚はとてもわかるのです。

遊女供養もひとつのライフワーク

昨日も、昭和30年代の7年間だけ続いた花街の女性たちのご供養が突発的に入ってきました。施主さんはその場所で商売を営む方々でした。

病気や事故、けんかなどで命を落とした人たちがたくさん出てきました。

もちろん自分たちの願いを叶えるためではありますが、地域のためによい行いをなさいました。こんな案件が増えていけば、わたしが一人で拝むことではなく、たくさんの人に自然と思いを共有していたただけるはずです。

あたたかい心と心でつながった、祈祷でつながった信者さんが、運んできてくださるご縁の数々が、わたしの人生の中にさえ入り込み、この50代以降の人生を豊かにしてくれています。

わたしの前世の一部は遊女だったこともあり、この間深くかかわった方々はそれに

まつわる魂のグループだったことがわかります。人生はこうして構成されています。

意識を研ぐ

さて、毎月1回は取り組む、集中祈祷期間は、高め研ぐ意識をキープしています。

さらに深い悉地にはいるため、よい行いです。

だから疲れて斃れることはありません。

以前とくらべて雲泥の差です。

わたしは仏さまに、祖師に守られているんだなあとふとしたときにしみじみ思っています。

使命感ももちろんあります。

でも悲壮感ではありません。悲しい案件に対峙するときは、もちろん自分もきついですけれども、仏さまが導いてくださったおしごとです。

みなさまがよろこんでくださる限り、心をこめて拝んでいきます。

すべての有縁の方々へ感謝をこめて 妙泉