法務は一つひとつ丁寧に
法要
本日は、僧分のみで法要を行いました。
共通の知人がなくなって3年の節目ということが名目です。
亡くなり方が突然だったこともあり、なかなか上がっていかなかったとわたしたちは感じていて、
でも本日の法要では、僧分3人だけしかお堂にいないにもかかわらず、外陣にたくさんの人たちが
集まっていました。僧分がいっしょに拝んでくださることは、いつも感じますが心強いものです。
途中におこしになった信者さまの中で、たまにおこしになる方がおみえで、お瀧に上がられたようでした。三石不動は、霊場なので、霊感をもつ人や僧侶ではないが拝むことをなりわいにしている人などが自分自身の修行や厄落としのためにおまいりになることがあります。
でもこの方々はとくにお供えやお布施をすることが少ないんですよ。ご神仏などの大きな存在ではなく自分の力によっていると思っているのでしょうね。
お斎
さて法要後、みんなでお供えをおろしてサンドイッチとコーヒーをいただき、2時過ぎまで談笑しました。このような機会には、お寺があってよかったなあと思えます。ほんらいのおしごと以外にも、お寺はさまざまに活用ができるものです。
かえり、学文路のお店によってお弁当を購入したとき、店主さんから「どこか遠くにいっていたの?」と聞かれたから、「来月です」と答えて、すこし詳しくお伝えしたら「不在のときはお寺は」とおっしゃるので「こんかいはそれほど長くないので、信者さんにお水やりくらいしか、だれにも留守番はたのんでないんですよ」と話しました。どなたか僧分かそれに準ずる方が自分自身の責任においてご助力いただけるとよいのですけれどね。
ほんじつの法要で拝んでいるときには、龍笛のような、ぴーっという音が何度もきこえました。
阿弥陀聖衆来迎図の楽器を演奏する菩薩たちが来られていたのかもしれません。
故人は阿弥陀さまのみもとに確実に行かれたと思いました。
外陣にはたくさんの人の気配がありました。
秋もたけなわです。