現在の境地 令和6年9月14日

おはようございます

お昼にリトリートの方を迎えるための準備がととのいましたサロン室内で書いています。

きのう、行者の友人と電話していて言われたことには「妙泉さんのまわりっていろんなタイプの変わった人が集まっているね」。

もちろんこれは誉め言葉として受け取っています。信者さまのカテゴリーとしてはいくつかあります。

◎私が住職をつとめる三石不動尊は古い霊域ですので地元で代々信仰する方があります。(令和6年9月22日は三石不動尊での彼岸供養の日です)

◎三石不動尊が復興されてから、少しずつ知られるようになって遠方、近隣関係なく、ご祈祷や気になるご供養のためにお参りされる方があります。

◎妙泉個人が、高野山大学大学院に在学中からご相談を受けてきた方々があります。

◎高野ブランド事業を終えてから立ち上げて現在も続く、密教文化の会である横笛の会の会員さんや行事などの参加者さんがあります。

そして、数ある寺院や僧侶の中で、私のところに来てくださる方々は、なんらか特徴的な悩みや特性をお持ちの方があるのかもしれません。

そして関係が続いていく方はとくに仏縁が深い方々なのだなあと感じたりしています。

行者の友人のこと

慰霊祭を手伝ってくれたりしている行者の友人(もと真言僧)は、私が三石不動尊に入寺した一年目におまいりくださった方です。頻繁に会うわけではないのですが、祈り方の方向性が似ているようで(彼は弁才天・不動・稲荷の三尊を拝んでいる)あまり誰にも言うことのできない拝み方や修法のはなしが気軽にできる方です。

慰霊祭では3月半ばから5月2日(慰霊祭当日5月3日)までずっと拝みこむのですが、そのときもいろいろと、ご自身において考えて行ってくださいます。

ふしぎだったことは、辻政信さんの慰霊をしているとき、わたしが「彼が行方不明になってからの、悉地を飛躍的に上げることになった甘美なできごと」を内護摩によって感得した際に、なんと同時に電話で「辻さんって行方不明になったあと、国境のもういまはなくなった村なのかもしれないが、そこで南方の郷土料理をいただくなどすごく楽しい思いをされたと言っている」と連絡があり、まさに両方で同じ時期のことを感得したということがありました。

その思い出話をしたとき「辻さんは両方にメッセージを送れるくらい霊格が高かったんやな」と彼は言っていました。わたしは「お不動さんになっていらっしゃったんだと思うよ」と答えました。

彼は拠点が大阪なのですが、慰霊祭の前、四天王寺の150体のお地蔵さまに一体一体ご供養させていただいてきたと言っていました。それは「妙泉を手伝ってやるならば、お地蔵さま1000体」ということを弁天さんから言われたからだそうです。まさに1000人の特攻隊少年兵が御瀧への参道にずらりと並んだのを私が感得した時期でした。

こんなふうに慰霊を通して感得する磁場が繋がることがあります。

三石不動瀧慰霊祭

5月3日の不動瀧慰霊祭ではほんとうにたくさんの上がりたい魂があちこちから集まってきます。つまり3月の開闢から5月当日をおえて、だいたい6月いっぱいまでいろいろな影響が起きます。6月30日の夏越しの大祓でようやくいったんピリオド・終息するという流れなのです。

弁才天

行者の友人が「一度弁天さんだけをしっかりと拝んでみたら」と昨日言っていました。

どの尊がもっとも強い力でわたしを護ってくださっているのかという、問いのなかでの話です。

ほんじつは秋のリトリートの一番目に嶽弁天にのぼります。

お話をお聞きしてきます。