2026年の誓願

ひとつの言葉がある人間を支え続けることがある。かつて、心に残る支えのことばを叫ぶように言ってくれた人があった。わたしもまたその人を深く愛した。しかし愛はときに執着にかわり、安住するこころのほうを拡大する。わたしの人生においては、これからまだしなければならないことがあり、そのことについて「安住」は岐路となる。わたしはその愛を力にかえて、彼と道を分かち、自分の道を進み続けることを選んだということなのだろう。

わたしはまた自立することを目指した。自立とは、自分自身の心身魂を制御して、煩悩にとらわれず、信じた方向へ勇気をもって踏み出していくことも含まれる。仏道はまず自立の精神がなければスタートラインにつくことができない。ただ守られたり、大きなものに寄りかかることを続けてしまうと、仏道の精神からはかけ離れてしまうのだ。

少しのせつなさを抱えつつ、わたしは肩のあたりから光のある上へと伸びていく若々しい木になったように覚えている。なんのためにこの道を選ぶのだろう。2026年の最初には、必要な声なき声によばれて、光の道にのせていく祈りをたずさえて進むということが目の前にある。

わたしは自分の力を過信してはいないが、これまでの経験により、経験とは僧侶としてだけではなく声なき声を記録しようとしたノンフィクションライターの時代も含めてであるが、これまでの人生経験をすべて生かして行う仕事が控えている。ふつうの状態でむかえば、きっときちんとできる。それには長く支えになってくれていた愛さえもひとまず置いて、魂の存在として歩むことが求められている。人間はすべて魂の存在。身体をもっていることは、この世での学びを深めるため。僧侶は、とくに女僧は、率先して魂の役割を世界にとどける存在である。わたしはそれを選んだ。なぜならそれが私の魂の目的だったから。愛は愛のままで、いまはここに置いて、そして私は手を広げて世界の痛みと向き合ってく。