1961年の失踪~辻氏との対話~

4月9日と10日、集中拝みこみ開始

辻政信氏の御魂との対話をメインに拝みこみました。

こんどの慰霊祭にかかわってくださっている方々のあいだで、「辻さんはなにかを伝えたがっている。そのために降りてこられたのではないか」という意見が大勢です。

わたしの任務は辻さんのお声をしっかりはっきりとお聴きすることです。

ただし、多くはビジョンとキーワードで出てきます。

「中国幹部に電話」「真意を伝えていなかったから」

「勝ち目はなかった」「大衆が知っていくことがたいせつ」

そして「名もなき若き兵士のいまださまよっている御魂を助けてほしい」

以上は9日に出てきたワードです。

辻さん自身はお不動さんになっておられるから、その辻さんにつながる、若き名もない御魂の

供養慰霊をしていくことがひとつ大きくあるというのは、当初から気づいていたことです。

真言行者なら、戦争の犠牲者の供養慰霊がすんでいないことが、いまのさまざまな社会の苦悩を

つくりだしていることくらい、だれでもわかっていると思います。

さて、10日には、しあわせに暮らしているようすの辻さんが出てこられました。

さらに

「成仏のためには山紫水明の大自然の環境が要ります」

「それは段階的にシステムとなったものです」

「晩年異国の地にてさいごしばらく潜伏しました」

「自然のなかで、川のそばで、

人生でもっとも甘美なときでした」

「人生はあるとき急変します

わたしは捕えられたのです」

拝んですぐにメモした言葉たちです。

いまは、その日の夜ですが、自分がメモしたのかどうかはっきりしません。

拝んでいるときと、このように三次元で執筆をしているときはモードがかなり

違います。拝み終わってすぐの場合でも、みたこときいたことを失念していることが多いです。

半日もたったら覚えていないのです。午前午後とみっちり拝んだ日は夕方になると

その余波で通常の状態ではなくなります。

しかし、このメモをもとに、あとから考察をかけることはできますね。

10日は、5月3日の土砂加持のためのお砂を御瀧からの流れから採取しました。

集中拝みこみは続きます。

10日、法務が終わるさい、本堂には、菊の花の香りが

強くたちこめていました。あたらしい菊の花はだれもいけていません。

つぎの章では、辻氏との出会いについて辻氏からの手紙の形態で綴ります。

じつはこれを綴ったのは数日前、そのときのこともよく覚えていないのです。

辻氏からの手紙~回想~

荒々しい入り方をしてすまなかったね。

しかしあなたが来られることが決まってから

あなたの空洞の部分にちょうどスペースがあったね。

あなたは旅の前に大きな決心をしていたからね。

バンコクに住むあなたの信者さんT氏とその仕事仲間に

納骨堂の話題をしかけたのはわたしだ。

なんとかして彼らに私の名前をあなたに伝えてもらいたかったからね。

あなたは私のことなど何も知らなかったのだから。

あなたには悪かったけど、日本からリヤップ寺にくるまで

ほとんど飲まず食わずにしたのも、「亜細亜の共感」を

あなたに求めてのことだ。水をのまないというのは辛いことだろう。

あなたの寺には水が絶えずあるんだから、そんな苦労したこともないだろうと思ってね。

戦場では日常茶飯事のつらさなのだ。

共感ではじめて理解できること

人は同様の経験をせずには、ほんとうに人のことをわからない生き物だ。

あなたはここ数年、たいへん苦労をしてこられた。しかしそれは

仏に近づくために必要な苦労だった。苦労の末に、さいしょの誓願を果たし、さらには

若いころからの夢「インド巡礼」をかなえようとしていた令和5年12月のあなただからこそ、

私の入る場所があったんだよ。

それにしても、急ピッチな道のりだったね。

あなたはバンコクに降りる予定さえなかったのを

飛行機の時間を調整し変更させて、細かい折衝を創造して

あなたの旅の予定変更をはかった。

旅行会社のF氏に、あなたにバンコクを観光するようにすすめさせたまでは

予定どおり。しかしF氏はエメラルド寺院にいったらということをいうものだから、

すこしあせった。あなたがあなたの師匠と話すときに、バンコクの話題を出させた。

あなたと師匠はインドのことばかり話してきたから、バンコクのことなど

話す予定も動機もなかったけれど、あなたは「バンコクにもおりることになった」と

口にした。師匠は「バンコクには日本人納骨堂があってね」と。あなたはそれで

「じゃあ、エメラルド寺院じゃなくて、そっちのお寺にいってきますね」と。

この素直なところがあなたの長所だ。素直すぎることで、よく傷ついてしまう。

ともかく、あなたをバンコクにおろし、納骨堂まで来させることがミッションだった。

覚えているだろう、わたしは「作戦の神様」とよばれた男だ。

ただインドしか目に入っていないあなたをバンコクまで連れてくるのは

何度もいうようだが、ほねがおれたよ。FBで三石不動で護摩祈祷を受けたことのあるT氏のページを見せたのは私だ。

あなたとT氏をふたたび近づけるため、T氏があなたに祈祷を頼みたくなる要件もつくった。

しかしそれはあなたも気づいていたように、本質のところではなかったね。

T氏はその仕事を迂回することで守られたんだよ、じつは。

まあそれはいまはおいておこう。

また、あなたの知人のタクシー運転手のN氏もまた、山中温泉のつながりがある同郷人だ。

ずいぶん前にN氏が山中温泉のことを話すのをわたしは聞いていたのだ。

そのころから、もちろん私自身はいまを知っていた。

そのためにあなたをさらに苦しめたことは胸が痛かったけれどね。

ただ、あなたが斃れそうになるときにはすんでのところで助けてきたつもりだ。

あなたは何とか起き上がってインドへ旅立つところまで歩いてきたね。

でも、あなたの航空券が、バンコクには降りる予定がないと知ったときはあわてた。

時間がないなら、わたしが空港まで行ってあなたといっしょに行こうと決めたが

納骨堂のほかのメンバーがあなたを寺院まで来させたんだよ。

鍵のイメージ、からゆきさんのいたずら

3月に出会ったからゆきさんたちだよ。あなたは自分のお寺で遊女たちのご供養をしていたことを

彼女たちはちゃんと知っていたよ。からゆきさんたちはすべてが遊女ではないけれど

あなたに鍵のいたずらをしたのは彼女たちだよ。

あなたがチャオプラヤ河で拝んでいるとき白衣の袖から鍵を抜き取ったよ。

あなたはT氏や同行の人たちとワット・トライミット(からゆきさんたちが供養されている寺院)から帰ってからリヤップ寺の僧房の前でようやく鍵がないことに気づいたろう。

あなたのことだ。そこから探し回るのは予測がついていた。

リヤップ寺の住職さんにそこまで行ってもらったのも私の策略。

もしかしてあなたは暗い中、鍵を探しにいくかなとも思ったけれど、

住職さんにあけてもらったことで、翌朝行こうと決めたね。

あなたがチャオプラヤ河までいって下を向いてぐるぐると探し回っているのに

わたしもついていっていたよ。

あなたはさらに自分自身を見つめなければならない。

時代はかわれど、そうすることなしに、人は正しい道を見つけることなどできないのだから。

もちろん私が歩いた道がすべて正しいといっているわけではない。

わたしにはたくさんの悔いがある。あなたは「私は後悔したことがない」とよく

言っているようだが、わたしは悔いだらけだ。

しかし悔いをも生きる原動力に、それもすぐさましたのが私、辻政信である。

あなたはわかるだろうか。戦地から戦地へ、砲弾を潜り抜けながら旅をするという人生を。

あなたのバンコクへくるまでの渇望や空腹、そして、リヤップ寺で砲弾をくらったような頭痛を経験したとしても

あの時代の兵士たちのことを理解するには至るまい。

でも私たちは、じつはいまの人たちにわかってほしいんだ。

ずっとわかってほしかったんだ。理解してほしかった。

祖国のために戦ってきた兵士たちを。その間に訪れる無数の死。

仲間の死を悲しむ間もなく戦線を進むわれわれのナイフのように研ぎ澄ました心を。

生きるとはほんとうはそういうことなんだ。

生まれ落ちたときから、すべてのひとに死は宿命だ。

永遠などない。あるのは一瞬一瞬の刹那なのだ。誤解を避けたいのでいうが、

刹那的な生き方ということとは違う。

特攻隊に志願するしかなった青少年たちも、死ということのほんとうの手触りを

理解して出兵した者ばかりではない。

みんなでお国のために戦いに行く、それだけだった。

ほんとうに死なねばならなくなった瞬間に、彼らは悟っただろう。

こうして死ぬのだ。こうして死ぬまで自分たちは精一杯生きていた。

仲間と談笑することもあり、戦争のなかでも楽しい時間も過ごす普通のひとりの人間。

でもその瞬間はひとりきりで、やってくる。思わず「お母さん」と叫んでしまう。

冷たかった。温かさがほしかった。そんな死の瞬間が無数に堆積しているんだよ、

わたしたちの国には。

あなたは、チャオプラヤ河でからゆきさんたちのためにもう一度

昨夕と同じように祈って目をあけたとたん、いくら探しても見つからなかった

ワットリヤップの僧坊の鍵を目の前にみつけた。

(続く)