魂をととのえること

きのうは師僧が叙勲とのニュース。
お祝いメールをすると、師僧らしい謙虚なお言葉が帰ってきました。
高野山に来てから、わたしにとってはほんとうに一番お世話になった方で、心から、おめでとうございます。
持仏間をととのえる
さて高野山のわたしの個人の持仏間には、だんだんとたくさんの尊格がおまつりされるようになっています。そこは私の寝起きするところでもあるので、5畳の広くないスペースなのですが、間仕切りをしたいと思っています。どんな間仕切りがいいかなと思っていたら、カタログ誌に、障子様のようなものがあり、いいなとひかれているのですが、現代的なカーテンレール状のものもいいなと思ったり、いろいろと思案中です。パソコンデスクはないので、衣類をしまっているチェストがちょうどよいのでそれをデスクかわりにしたり、あるいは食卓で書いたりしています。
持仏間、リビングルーム、息子の部屋と3部屋がパーソナルスペースになります。
今日(11月4日)から3日間で、今年中に校了する予定の8pパンフレットの編集作業を終えなくてはなりません。
もともとは24pの冊子の第二号を作ろうということだったのですが、なかなか進まず、それでも令和8年1月に予定されている海外講演のためにパンフレットは必要なので、まずは薄いものを作って、そのあとに24pのものをつくろうということになりました。
魂の中心に向かっていく
令和7年6月末までは、いつでもあいていたらいいですよというスタンスでおりました。でもそれでは依頼があれば自分自身が疲弊していても命を削るように拝むということにもなりかねません。
わたしは僧侶なのです。拝める自分でいるためには日々心身をととのえていくことが大切です。そして弁才天秘法を123座結願したことで、自分自身のいのりが自分の魂の中心に向かっていくと感じるようになりました。
ある神秘体験がきっかけになっているのですが、そのころから「完全予約制」を採用させてもらうことにしました。それから4か月ですが結果、どうしても私が執行すべき祈祷やご供養といったものが自然と無理なく行えるようになっています。懐かしい方がおまいりくださったり、体調が悪くて遠隔祈祷を続けていた方も工夫されておまいりになられたりします。
ご祈祷予約制のよいところは、緊急でないケースの場合には、受者様のご都合と私の都合・体力などを合わせてよい日にちを選ぶことができることです。
姫神社がおまつりされてから、ひとつのなにげないできごとから、幅が広くなり、とてもよいできごとへと展開していくパターンが見られます。
