魂との対話~令和6年灼熱夏~

孤独死からの叫び

海のみえる中部地方のとある町。

孤独死をしていたひとりの老人がありました。

2週間のあいだ、ひとりで横たわっておられました。

ひとりぐらしの家。

ひざしが、弱った身体には暑かった。

横たわって、水も飲みたかったが、ひとり衰弱していった。

なかなか上がることができなかった。

その物件はだれも住む人がなくなり格安物件となったけれど

しばらく買い手がつかなかった。

ようやく、みつかった買い手には、年に一回、夏の拝みに来る祈祷僧があり

そこで話題を出すことで、彼はあがろうと企図した。

翌日、祈祷僧は、彼の成仏を期して拝むと横たわっているすがたがあらわれて

拝みが進むにつれてすうっと楽になった。

わかってあげることで、ひっかかっている御霊は癒されていく。

魂というのは、未来を見越してというか、成仏のためなら、さまざまな状況を

つくりだしていくことができる。

執着から離れるために執着を駆使して上がろうと試みる。

お盆はそんなお話が多い。

あ~しんどかった。

葬儀のときから動けなかった御霊さま

つぎには、別のご家庭の新仏さんのはなし。

拝み始めてすぐに、棺に横たわった仏さんがみえた。

えっ、これって、まだお葬儀のときのまま?

わたしがお葬儀の導師を担当したわけではなかったから、そのときのことは見ていない。

お花に埋もれたようになった仏さんが見えたので、拝みこむと

すうっと横たわった身体ごと

上へあがった。引導を渡してもらったのはいいが、どっちを向いていけばよいのかわからなかったのか、8か月ほど、なかなか進めなかったことがわかった。

痛みもあった。まだ痛い痛いと叫んでいた。

いろんな心配や懺悔があったのだろう。

残された方々も、現世のときのいろんなことは忘れて、拝みこむことがたいせつな季節だ。

みなさまが安寧に、あがれますために、拝みこむ僧侶6年目の月華。

合掌。

時間をみて、母方の墓にもおまいりしてきた

大阪府はゲリラ豪雨がひどかったが、法務のあいまを縫って、母方ご先祖のお墓におまいりした。

むらさきと白の菊があったので、墓前にお供えした。

このときは僧侶でなく、ひとりの子孫にもどって、わたしの子どものことなどをご先祖にお願いした。

また、8月15日は御瀧でお施餓鬼を行うので来てね、とは伝えた。

このお寺は古く、行基菩薩か聖徳太子の創建とされ、足利義教や細川ガラシャなどの供養塔もある。

兵庫県の黒田家の墓のほうは知人の真言僧の方にことしもお願いした。

行こうと一度は試みたのだが、道中にゲリラ豪雨にあって進めなく、その日のうちに帰れなくなりそうだったので引き返して大阪のお寺のみおまいりしたわけだ。

お盆前後はほんとうにいろいろなことがあります。是僧侶実感。