過去・現在・未来は寶箱に

過去・現在・未来のおはなし、ふたたび

過去現在未来という概念がつながってあたかも流れのようにあるというのは、おそらく幻想。

過去と規定されている、ひとつのタームが、現在と信じている「いま」につながってくることはよくある。

わたしの公的なところでいえば、廃寺になっていた三石山不動寺に入寺したときには、間違いなく昭和30年代がそこにあった。

わたしは法力ある尼僧さんのいた昭和30年代に入り込み、そこから令和2年につなげることで、三石山不動寺は蘇った。先代の尼僧住職の遷化した昭和31年から、もちろん、息子さん、お孫さんと男性のお坊様がお寺を維持してくださっていて、とちゅう龍脈への台風直撃にもあったが拝殿は昭和8年から維持されてきていた。

私がお寺に入った令和2年には、物置にあった仏具を包んでいたのは昭和30年代の新聞紙だったし、さいしょは、できるだけお寺のあちこちを触らないで法務を始めることを心がけた。少しずつリフォームをし始めたのは令和4年になってからである。

令和2年7月10日に、橋本市在住の40~50代女性たちが般若心経をお唱えしながら舞を舞ったら、御瀧大神のところに上から藪椿の木が落ちてきたことがある。海へ向かって弓矢を射るとき、巫女たちの背後に咲くのが藪椿。さらに、その日は奈良の天河で栽培された蓮茶が現地から届くというサプライズもあった。役行者のつながりで、届いたのだろう。

前住職(現在93歳)と相談して御瀧の上部から落ちてきた藪椿の木はそのままにしておくことになった。樹木がかかっていてみかけはよくないけど、そう二人で決めた。

この藪椿は令和5年6月の大水で土砂とともに流されるまで御瀧で倒れたまま花を咲かせていた。

さらにはこの日、令和2年4月2日にお厨子をあけたものの、なかなか開かなかった観音さまのお厨子が7月10日にはひとりでに開いていた。観音さまが信者さまの踊りを拝見したいとお思いになったのだろう。

自然体で生きる

わたしはもともと「自然にまかせる」ということをいちばん大切にして生きてきたように思う。

だから中年以降にご神仏にぐっと引っ張っていただき、いまのような祈祷僧のしごとをさせていただけるようになった。ただ、さいきんでは、ご祈祷をさらに効かせたいというある意味の欲から、自分で自分を追い込みすぎるところがある。これでは自然体ではなく緊張感が入ってしまうので自戒しなくてはならない。

「自然にまかせる」「なるようになる」「正直に生きていればおのずと護られる」そんな自分自身がこれまでしてきた姿勢を大きく変えずにいれば、祈祷僧として生かされるのだと思っている。

過去・現在・未来はすべてわたしが持つ箱の中にある。この箱は宝箱である。