超越性と内在性

過去現在未来の寶箱

神の顕現において、起こることを体感していきますと、その超越性と内在性の課題にいきつきます。

超越性とは、つまりはおおいなる存在であるということです。

神はすべてのことをお見通しであること。つまり過去現在未来が一緒にあること。

たほう、内在性とは、個々の中に神がいっしょにいてくださることです。

おそらく「超越性」については、わたしは早くから意識していたと思います。

もしかしたら仮死状態で生まれたときから?

おおいなる存在と繋がるチャンネル

さいきんはどんなことが身の回りにおこっているかといいますと

すぐにうつってくることです。

祈祷僧としては、カウンセリングをしてから課題抽出、誓願を決定して拝みます。

この過程がときどき、一足飛びに、拝みもしないのに起こってくることがあります。

たとえば、はなしを聞いただけとか、ものすごくの速いので体調が不安定なのです。

チャンネルとつなぎ方が、祈祷僧の場合とは違ってきている気がします。

多元的なチャンネル

うつってきたときには、仏の場合には拝みこむことがもっとも大切とされました。

神の場合には、まずは祓うことです。

それで神仏習合の場合にはどちらかひとつよりより多元的にいくことができるのでしょう。

また途上ですので、日々の微妙な体調に影響があるのです。

前から後ろ、後ろから前へ

思えば、シャーマニスティックな部分はおそらく生来のもので

たとえば仮死状態で生まれたときからもっていたものだったかもしれません。

それを後ろに置くことで、尼僧としての盤石をつくってきていたのかもしれません。

後ろから前へ 前から後ろへ

そう呼びかけられていた最近のことば

神が前へ出る 仏が後ろへ

神も仏もわけることはないとの言説もありますが、祈祷僧の場合には

ご神仏の位置がとても大切になります。

ご神仏を敬う意味でも順序や呼び方は可能なかぎり正しく用いなければならないと思っています。

激動の中で昨晩思っていたことは

「わたしはすごい守護力により、ありがたいことに護られていたんだなあ」ということ。

これほどの揺さぶりをかけられたらちぎれてしまうこともあろうに、

わたしは生きていて、いや生かされていて、そしてそんな中でなにがパワーになるかといったら

信者さんや訪れてくださる方々のお声だったりします。

いつもいつも足りないことばかりなのに、お護りいただいて、ありがとうございますと感謝で涙が出てきます

激動にあっても、行事や法務はきっとしっかりこなしていけるよう、おおいなる存在が導いてくださるのだと思っています。

超越性と内在性の問題については引き続き考察を続けていきます。

つなぎ方、繋がり方はこれから先、たいへん重要なポイントになるからです。

どうぞよい一日をお過ごしください。合掌