赦しということ
特攻隊の少年兵のおかあさんとして
昨年12月16日にタイ国バンコクで発願して以来、
3月19日~5月3日、そして慰霊のお塔婆をおろしてくるまでの
5月27日まではさまざまなことがありました。
この間、特攻隊の少年兵や戦没者の慰霊を行っていたのです。
思えば半年に近い期間をこの慰霊に費やしたことがわかります。
特攻隊の少年兵たちはさいご「おかあさん」といいながら
散っていったというおはなしは各地にあります。
わたしは僧侶ですが、彼らの「おかあさん」のイメージでもあるのでしょう。
そのためこうして慰霊する契機がふってきました。
じつは、高野山に来た最初のころ、特攻隊少年兵のおかあさんが「くやしくて成仏できない」
と憑かれて、「いまのわたしは何にもできない。いつか供養できる人間になるからいまは離れて」と説得して離れてもらったことがありました。
数年後僧侶になり、祈祷寺院の住職にもなり、供養ができる条件がととのってきて、令和6年5月3日、
御霊との約束を守ることができました。
この間、主たる供養以外の周辺の慰霊や供養など、例年どおりさまざまなことが
ありました。
さらにすべてを終えてみて、「自分自身もずいぶんかわったな」ということがあります。
個人的な「ゆるし」の慈雨
私は10年前に離婚をして、調停もない協議離婚でしたが、
その後はできるだけ会いたくないと思い続けていました。
また高野山に来てから2年ほどお付き合いをしたべつの方があり、
結納をかわすとかそんな正式な式ではないですが、
それでもあるお寺に行って婚約をした方がいました。
ただし、その方とも四度加行にはいるさいに、おわかれしていました。
このときの分かれ方もあまりよくなく、
本心は会いたくない気持ちがとても強かったです。
どちらも、ときどきは何らかの理由で連絡があったのですが、とても気が重かったのです。
しかしいまは、いつのまにか、まったくわだかまりがなくなり、
友人としてこころおきなく、お付き合いができるようになったのです。
これがじつは特攻隊少年兵の慰霊に取り組んでいた約半年の間のできごとです。
この間にお二人ともとお会いすることがありました。
まあ深く付き合っていた人は、私自身のことを知っているから、嫌悪感が除かれたら
むかしのよしみで親身になってくれる部分もありますし、ほんとうに
友だちのようになれたように感じました。感謝をする部分は自然体で感謝をしている自分がいました。
嫌悪感がとれるということは、自分自身がたいへん楽になることなのです。
念のためですがここでいう「赦し」とはどちらがいい悪いということに言及しているのではありません。
他者は所有物になるうるか
これをある信者さんにぽつぽつと話をすると「すごい! まさにゆるしですね」と反応されました。
お付き合いをしていたり結婚していたりすると
たいていお相手を「自分のものだ」と思ってしまうことが常なのでしょうか。
そこから独占欲とか、相手を必要以上に責めたり、相手の行動を制限したりしがちです。
しかし人間関係は鏡ですから、そのような気持ちを持てば、自分自身にも同じ制限や力を
加えることになります。双方が満足するバランスのよい恋愛関係、夫婦関係というものは一朝一夕で得られるものではありませんね。
考えてみますと、人が人を所有したり支配することなどということは、幻想であるように思います。
いえ、言い方が少し違いますね。所有意識は、ほんとうに相手を愛していることにはならないということです。
そして自分自身をも愛せていない証明…
無条件の愛とは、相手がどうでもどんな状態でもどんなときでも、みかえりなく愛していけるということだと思っています。
わたしはそのようであれない場合、分かれを選択してきたように思います。
逆にいうと無条件の愛で結ばれる相手があると信じているのかもしれません。
それは今生で出会えるかそうでないかはわかりません。
魂レベルでつながりあう、無条件の愛を注いでいける相手がいるという予感はわたしにはおそらくあり、しかしいまはそれさえも、いいかたはよくないかもしれないけれども「どうでもよい」ように感じることがあります。
そんな境地になったからこそ、以前の人生で深いかかわりをもった方々とのわだかまりが、霧散するように消えてしまっていたのだろうと思われます。人間関係とは人生と同じように奥深いものです。