神仏習合の祈祷僧の心構え

必要な本はむこうから歩いてくるよ

先日、東京にいってご祈祷の本を出版社まで行って注文し、後日送ってもらいましたが、これらの本との出会いもまた「縁」なんだなあと思える内容です。

みだりに人に貸したり見せたりしてはいけないと但し書きがしてあります。

思えば弘法大師も伝教大師に対して、本を貸すだけの伝授に難色を示したということがあります。(空海と最澄は仲がわるいわけではありませんでした。真剣に議論のできる間柄だった、そう思うのは東寺に残された『風信帖』お二人の往復書簡

三石不動尊にもあります。みたいかたはおっしゃってくださいね。

さて、私は以前出版の仕事をしていて本づくりを愛していたということだけでなく、本は自ら歩いて必要なひとのところに届くということを信じておりました。

こんかい、それを思い出した形です。

備品として手元にあれば、いざというときに役立ってくれます。5月3日以降、とくに複雑案件のご祈祷も増え、7月にはいってはさらにピッチがあがって新しい人とのお出会いも増えています。

嬉しい反面、ご祈祷は神経をつかいますので、ふと気が付いたとき疲れを感じることがあります。

うまく休みをとって進んでいかなければ、長く続けることは適いません。

いずれ海外でも日本の神仏習合のご祈祷を行えればという夢があります。体調をととのえて、しごとをしていかねばなりません。

神降ろしがどれだけ神経をすり減らすか

智辯尊女が「このしごと(神おろし)をするということは一時として安穏とすることはない」とおっしゃいました。今日、年配の支援者さんから「神経は張りつめているのはいまの妙泉さん普通でしょうけど、休むこともだいじでうまく休んでバランスをとっていってね」と言われました。

ほんとうになにもせず充電することも必要です。

20日には縁日祈願が数件入っていますので、休めたら20日までは息子の部活のための買い物につきあうなど家のことをして過ごそうかと思っています。また来週になれば、ゆかたまつりやリトリートの準備にとりかかりながら、お不動さまのご縁日祈願にも対応していくようになります。

きっちり成果を出していくためにも、「休むこと」「のんびりすること」「神経をのびやかにすること」を意識的にとりいれていくようにしたい。

行者さんとの対話

 妙泉さんはおそらく、高野山真言宗の尼僧さんとして、山寺の庵主さんになってきたころは、訪れる方々とお茶をのんだりおしゃべりして、ひとりのときは執筆活動などをしながら、自然のなかでゆったりと暮らしていくことをイメージしていたんだろうね。でもここ(三石不動尊域)は、そういう場所ではなかったから、予想にたがうことだっただろう。いくらべつなことを望んでも、逃れることはできないと思うよ。日本の神というのはそれほど強いものだから。

 そうだね。最初はイベントなどをして人を集めることが自分の役目かと思っていたわ。でも御魂がどんどん集まってくるこのような霊場だったなんて、それは来るまでは知らなかったわ。こんなきついこと、わたしは自分でそう望んだのではないのかもしれない。でも、むがむちゅうでご神仏を拝みきることを目指しながら、いつのまにか人助けになっているって、これはよいことよね。とくに神さまが降りてこられて拝み方が変わった最近では、人生はほんとうにいつどうなるかわからないって思うわ。それで、これまでの波乱万丈な人生を生きてきたことも役立つのかもしれないね。

 お役目だし、これからもどんどん変わっていくだろうし、それで一生懸命にお仕えして、またご褒美として妙泉さんの好きな海外へ行く機会もプレゼントしてもらえると思うよ。でも主としては日本の神様を拝むということを、これは神道ではなく、新しい時代の神仏習合として拝み方を生み出していく、というようなそんな段階が来ると思うよ。考えてみれば、これまで神降ろしをしてきた方々はみな、仏道をベースにして入っていったよね。

 わたしはそういう意味での向こう気が強いほうではないから、まだよくわかっていないところもあるし、結果が出てからそうだったんだと納得するようなところもある。今回の病気平癒のことも、あまりに絶望的な案件だったから、施主さんの希望もあったけど病気平癒ではなく、できるだけ楽になることを祈った。更生は簡単ではないと思っていた。でもこんなにはやくすぐに効いて元気になったのよ、それに自分自身も驚いているようなところがあるわ。

※行者さんはご神仏からのプレゼントとしてふたたび海外での活動があるといいますが、わたしは、すでに深く耽溺したバンコクやブッダガヤのことはすぐ行けるくらいに身近です。日本での基盤を大事にしながら、海外での実効的な活動も増やしていきたいと思っています。

お大師さまから与えていただいたこの道・・・歩き続けて、一人でも多くの人が笑顔になっていただけるよう、祈念いたします。合掌