祝詞の口語訳 by myosen
内臓と結びつく言霊
無言のうちに、お経が身体の中で流れ続けているということがあります。
これは、わたしと一緒にいる御霊さんが寂しがっていたり、もうちょっとで
わたしから離れて自力で上がれるよというサインだったり、その日のご供養やご祈祷の残り香だったりもします。
これが理趣経のときもあれば、観音経のときもあり、ご真言のときもあれば、陀羅尼や大悲心のときもあります。
祝詞のときは、だいたい朝の起きがけのときが多いのだけれど、龍神祝詞はよく起こってきます。
これらは「言霊(ことだま)」です。
わたしは僧侶になったのは48歳と遅いけれど、21歳のときから43歳まで出版界でしごとをしていたので、言葉はずっと使ってきたわけです。それを「言霊」と意識したことは、それほど強くはなかったですが、ことのはと私の臓器は密接に結びついていることがわかります。
来年とりくみたいことは、祝詞の言霊の研究です。
今日は信者さんと意見交換しながら、ふとのりとを少しずつよみました。
私の宿題でたくさんの写経をしてきてくださった信者さん、こんどはわたしがこの祝詞の口語訳をしていくことを約束しました。時間をみつけてとりくんでいきます。
これはまた、国際的な講演の題材になると思いますので、英語表記でも書いておこうと思っています。
交流する魂
毎日毎日のなにが新鮮かって、それは他者とのコミュニケーションです。
生きている方々だけでなく、わたしの場合はその反対側にいらっしゃる方々とも対話をします。
だから一日がほんとうに早いのです。
動いているのは、他者の要請によってです。信者さまからの依頼ならそのとおりにトレースすればよいですが、あちらの世界からの要請となると「あれ?」「どっちが先?」「これでよかったの?」「あ、忘れてたごめんね」と複数の尊格がいらっしゃれば、平等にしなければならないし、順番も気になるしでかなり気を使います。
現世の信者さまになら「ちょっと待っててくださいね」というとき、笑顔でおつたえすれば、たいていわかってくださるけれど、あちらの世界の場合は、かなり順番が重要になる局面も多い。
だからどちらかというと、あちらの世界からの要請のほうに気を使います。
それがしごとなのだから、やっぱり特殊な世界です。
本を書くこと
頒布品にも本はよろこばれるから、また薄めの冊子タイプの本を一冊つくりたいと考えています。
できたら英語表記もととのえて、どのような国籍・言語の人にもわかりやすい一冊にしたいです。
そして、わたしが何を目指して何を日々思いながら活動を続けているかということを、わかりやすくお伝えできる内容としたいです。
判型は「信じること愛すること」の正方形に近いかわいい形もよいですし、映画のチケットを少し大きめにしたような、細長い形もよいかなと思っています。