津々浦々

日本のアニメの秀逸性

ここのところ高野山は積雪が続き、法務のあいまを縫って、お部屋で過ごす時間を楽しんでいます。

スマホで映画が見られますので、以前、家族やきょうだいや子どもたちと映画館でみて印象に残っていた「かがみの孤城」や「すずめの戸締り」、さらにあまりじっくりとは見ていなかった「君の名は」もみました。

日本のアニメーションは、とても映像が美しくてストーリーも大人がみてもすばらしいとよく評されます。わたしには二人子どもがありますが、この子たちの小さいときはスタジオジブリの映画をビデオでよく見せていました。

都会でのワンオペ育児でしたので、まだ保育園や幼稚園にあがらないときには、夕方になったら夕食のしたくをわたしはしながら、4時からの「おかあさんといっしょ」やジブリ映画を近くにいて見せながら、子どもをみていました。

とくに上の子をうんだときはわたしは26歳でしたので、赤ちゃんを抱えての生活は何をするにも大変であることが経験しながらわかっていきました。

お買い物に行くにも大変ですが、ちょうど走って2分の距離にスーパーがあったので、お昼寝をしている間に買い物に行ったりもしました。離乳食をつくって食べさせなければならないときには、製氷機におかゆやおじやをつくっておいて、そのキューブを電子レンジで解凍して食べさせたりもしました。

必死で踏ん張りながら子どもを育てましたがいまとなっては汗と涙の忘れえぬ思い出です。

どちらのほうにベクトルが向いているか?

世界はいろんな方向に波がそよいでいる。

わたしたちは限定された個体であることで、この世でいきているから、バランシングがたいせつ。

ちょっとバランスを崩したと思えるときは、情報過多だったり、アイデンティティが新しい情報によって一時的に揺らいだりしているとき。

それでもあたらしい領域に進んでいくことを選び取ることも、ひとつの選択。

安全な範囲でとどまり、そこでいままでのものを深めていくこともまた、ひとつの選択。

どちらがいい、どちらがよくないということは、ない。

ただそれは可能性と可塑性の問題なのだ。