横笛法尼の『お葬式』
◇お送りは、生前よりお申込みいただけます
亡き愛する人を心をこめてご引導いたします。
どなたさまもお申込みいただけます。
何度繰り返しても、お葬儀(の導師)は慣れるということはありません。
それは、悲しみややりきれなさの共有、ということがあります。
ひとりの人間がこの世からいなくなると、世界が間違いなく変わります。
そんな現場に遭遇するのだから、慣れるはずがありません。
訃報をお聞きしたとき「亡き人の息子さん」のことが頭をよぎりました。
「戒名に息子さんの名の一文字を入れようか」なぜそう思ったのかわかりません。
詳しく聞いてみますと、息子さんはすでにお亡くなりで、喪主はお孫さんがつとめられました。
お葬儀は、御魂と肉体が分離されるということがミッションになります。
今回は通夜式の折からすでに、半分、起き上がってこられました。
水がふんだんにあります。香煙がたくさん上がりました。香煙は、亡者にとって
一番の栄養です。わたしたちは飲んだり食べたりできますが、御霊存在になると御香が
一番の栄養です。だから御香は神聖なものであり、むやみに扱ってはいけないのです。
蓮花の茎が上へ上へのびてゆきましたよ。
こんな通夜は初めてです。なみなみと御水で癒しの波動が大きく起こってきました。
これははやく上がる、息子さんのところへ行きたいのだと思いました。
翌日のお葬儀では、中盤あたりで、棺の上に赤ちゃんをだっこした女性が立ち上がってきました!
ああなんということでしょう。白衣観音さまに連れられていくのでしょうか。
やはり、息子さんが50代で先にお亡くなりになったとき、深い深い悲しみと憂いが亡き人には
存在したのです。
そして、さらにお次第がすすんで、ご遺族と一緒に「般若心経」をお唱えしているとき、いつもそうなのですが、私の右膝がビリビリとしてきました。
この足膝のビリビリが「御霊が上がる」もっというと「わたしの身体から外れていく」
しるしです。ご遺族の般若心経は、亡き人にとってはとても力強いもののようです。
経のうまいへたはこの場合、関係ありません。わたしの法務実感では、ご遺族が一生懸命に
般若心経をお唱えするとき、御魂の動きが起こることが多いのです。
この「ビリビリ」が起こったら私は導師として安心できます。
魂と体を別々にしてから火葬へつなげないと、亡者は苦しんじゃいますから。
しばらく御魂がご一緒に時間を経て、ぶじお送りした後は、正直ぐったりと疲れます。
でもそれだからこそ、人間はつながって生きているんだなということがよくわかるのです。
これからの旅路をお見守り申し上げます 合掌