戦没者慰霊について

令和7年吉祥

ことしは第二次大戦後80年です。一年を通して戦没者慰霊に取り組んでいくようになるんだろうなと思いますが、わたしが住職をつとめる三石不動尊で最重要な行事は、5月3日(令和7年は11時~)開催の不動瀧慰霊祭です。

今日これを書いているのは2月10日なんですが、数えてみますと慰霊祭当日まで82日です。2月12日でカウントダウン80日ということになりますね。

信者さんの健康祈願をしたら香雲がきのこ雲のような形になるし、毎年のことなんですが、節分集中祈祷が終わったら、慰霊祭開闢へ向けた体制に入るということになります。

もうそれがぴったりなんです。

去年は特攻隊の少年兵たちの慰霊をさせていただきました。そのときに、御瀧へあげるところで拝んでいてくれた行者さんが、「特攻隊だけではなく、たいへん傷を負った負傷兵の方々も来られた」と言っていたので、「来年は引き続き、戦没者慰霊ですね」と話していたのです。

原爆の爆死者の方々の慰霊

そうこうするうち、関東に住む知人の写真家さんが、アメリカのテキサス大学で出版されたという、広島・長崎の原爆投下後の写真集を送ってきてくださったのです。

たいへん貴重な写真ばかりですが、これは原爆投下国であるアメリカで出版されたこと、その出版に日本の写真家や学者もかかわって出されたことがたいへん重要です。

この写真集は、いま、三石不動尊の内陣に安置しています。

原爆犠牲者ということが令和7年の慰霊祭では大きなテーマとなってくるでしょう。

広島から三石不動尊への見えない道は、すでに開かれているので、御魂はきやすいと考えられます。

また、長崎、沖縄などからも上がりたい御魂がくるでしょう。

戦慄が走りますが、わたしは成仏の瀧の住職です。ここ不動瀧での拝み方は今生きている人間では私が一番知っています。

やり方がわかっている以上、どんなに危険がともなっても、じゅうぶん準備をして行っていきます。今回は大事なことは当日までに入念に拝みこむ、まあ例年そうでしたけれど、とくに本番までにプレ本番を何回か行うような気持ちで渡っていきたいと思います。

御魂は、気持ちをひとかけでもわかってさしあげれば、安心して上がっていくのです。

しかしその想念たるや、原爆で爆死された方々の思いたるや、どのように理解することができるでしょう。これは修法中に同じような経験を見聞きすることで、理解することができます。

行者さんとの打ち合わせは2月中にあります。

そして、一度沖縄へいかなければいけないということになっています。

道は敷かれています。

ことしは信者さんが一緒になって、主体的に拝んでくださる場面もつくります。

庫裏建立90周年と戦没者80年の法会なのです。

三石不動尊を令和2年に復興した意味も、ひとつこの日にわかってくることでしょう。

慰霊の場、供養の場、祈祷の場。

祖師・弘法大師のご修行の神仏習合の地です。

さらに新しい供養塔も建っていきます。

さらにどんな波が来るでしょうか。

まずやるべきことは、体調をととのえて、5月3日にむかうこと。

必要な修法を自分のものにして変則にも対応できる拝みをつくりだしていくこと。

御魂にききながら、臨機応変にお供えをできるようにしなければなりません。

ハードルはいままでよりぐっと上がっています。

でもきっとだいじょうぶ。ともにあるみなさんがんばっていきましょう。

どうか、安楽になっていただきたい。合掌 礼拝