弁才天秘法100座までの道のりについて

修法の充実

弁才天秘法0~100座までの5か月。

ほんとうに凝縮された時間を過ごさせていただきました。

弘法大師が唐から恵果和尚の伝によりお持ち帰りになられたとするこの法に

お出会いすることができたのは、10年前からの高野山嶽の弁才天との結縁が

大きなバックボーンとしてあったということでしょう。

わたしは高野山に移住した2016年3月30日、嶽弁才天のふもとに住みました。

その間、嶽弁才天からのお声を何度かお聞きし、ご指導もしていただきました。

いまのわたしは、神秘体験の体現者みたいに言われることもありますが、最初から

そうだったのです。

密教を本格的に学ぶ前から、大門のところに無数の光の環が見えたりしました。

自分が思うだけでなく、複数の方から「あなたは嶽弁才天にご縁がある」と

いわれることもあり、やはり大門付近にすんでいた3年間の間に、知らず結縁していたとしか

思えないのです。

僧侶になってからは弁天嶽にあがっての毎月の月参りを行うようになりました。

ときにはご希望される方が同行なさることもありました。

いまは、大門から少し離れた集合住宅に住んでいます。そのマンションの一室を仏間にして

持仏間として日々は拝んでいます。

この間、橋本市の三石不動尊の住職にも就任しましたが、ここでもわたしの勧請で弁才天尊像と地蔵菩薩をおまつりしています。

変化

100座を終えたあと、なにかわたしの身体自体が結界となってきたような感覚を覚えています。

神々がわたしの中に入ってこられることもあります。

祓浄のご祈祷をするときは祓四姫神が来てくださいますが、彼女たちは瀧水の女神としてある場合もあり、これは弁才天女の妹神になります。

このように、さまざまな仏神の尊格が、その役割だとか、背景、ご性格などがより深く実践的に体得できたように感じています。

そして弁才天秘法を集中的に修することは、きわめて速疾な功験があることもわかります。わたしは修法前と100座を終えたいまでは別人のようです。

もちろん変わらないこともあり、それを見つめるとき、その変わらないことがどれほど大切なことなのかもわかります。

この五か月間は、修行だけをしていたのではなく、わたしは寺院の住職でもありますから、必要な法務や縁日祈願、年間行事も並行して行ってきました。

大変だったというよりも、修法をしているからこその、ひとつひとつの行事や法務のとらえかたがよく見えたように思います。

7月11日の60座を終えたあとは10日間くらい修法をお休みし、お盆と8月15日の法要の準備をしました。準備が落ち着いてきたころから少しずつ自然な形で継続をし、その40日間ほどで40座を修した計算になります。

8月31日の午後の座で100座を結願したときは、深い瞑想に入る時間があり、気持ちのよい一座となりました。

これから年末にかけて、出張講座準備と本の執筆制作にかかりながら、修法もゆるやかに続けていく予定です。

弁才天さまに心からの感謝の気持ちでいっぱいです。

これからもよろしくお願いします。