弁才天女尊への礼拝~10年目の邂逅~

一番近いのは弁才天
自分に一番近い尊格は…?という問いは、ここ数年ずっと、人からもきかれることがあったし、自分でも考えることがよくあった。
3月20日に、宇宙元旦の日に、それは弁才天女尊であるとするっとわかった。
高野山10年の令和7年度は、弁才天女尊を中心に拝むことになるということだった。
それは初年度のおどろくべき体験
・大門でたくさんの光をみて、それが写真にもうつったこと
・それを機に、半年くらい体調不良が続いたこと、上がっていない魂による霊障であることを知る
・その魂と対話してなんとか離れてもらうことができた
・自分の霊感により集めてしまうからという理由で得度をすすめられたこと
・その一年後に得度することになったこと
・またこれは翌年になるのだけれど、弁才天女があらわれてご真言を延々とお唱えさせられたことがあった。
お坊さんになってよかったと思うとき
わたしはお坊さんになろうと思って高野山に来たのではなかったのだ。
密教の勉強を専門的にやりたいと思ったから来たのであり、将来的には研究の分野にすすみたいと思っていた。
しかし加行をはじめると、どんどんと引っ張られていき、いまのような祈祷を中心におこなう僧侶になったのだ。
そんなこんなで、弁才天の法を授かって、拝み始めることで、ことしはなにか集大成のようなものに拝みこんでいくのだということはわかっている。
24日には、さがしていた弁才天の念持仏になってくださりそうな像が手元にやってこられた。はやいはやい。
きょうは、弁才天のまわりに白蛇がたくさんあらわれてそれが、わたしが拝んでいる横笛の会のご本尊である十一面さんの矢のように同化していくのがわかった。
十一面観音のご縁日サロンを5年間続けてきて、それを一段落したのが2月20日だったが、それはこのようにして本格的に弁才天女尊を拝むことにつなげるためだったのだ。
弁才天女尊は十一面観音と同体であることがある。
お坊さんになってよかったのは、合う修法にであうととても面白いということだ。
それまでふつうに拝んで感得したことが、修法によればはっきりしてくる。
それで「あ、やっぱりそれでよかったんやね」とか「え、そうやったん?」とか
いろいろ発見がある。
おすがたを見せてくださるときもあるし、言葉ではっきりお伝えくださるときもある。
修法は尊格がおよろこびになるとそんなことがたくさん起こってくるのだ。
今回も20日にかえってきて、24,25,27日と拝みこんだ。30は頂上のお社へあがって
拝む予定なので、その前哨としてはとても深い拝みがえられた。この法を用いて拝むこれからが楽しみになった。真言僧になってよかったと思うのはこんなとき。
秘符もつくらないとなあ。たのしい思いをかかえて、つくるよ。
ご祈祷は遠隔でも行います。予約してね。
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