己巳(9月2日) 嶽弁天月まいり

高野山ではいま、山内バスルート変更や変則的運行などが続いて、町民間にも情報が錯そうするなどしていろんな話が飛び交っています。

まちは過疎化するいっぽうだし、バスの路線も場合によって赤字が出たり危険もあるかもしれないから、これは一般論ですが、ひとびとは自分都合の意見ばかりをいうのでなく、なぜそうなったのかを考えて、現状把握をすることが現実的です。

さて、わたしもまた、高野山の部屋から橋本市の高校に通う息子がいますから、山麓寺院に滞在するとき以外は、駅まで送迎をすることがあります。これが部屋から高野山駅まで、ぐるりとまわっていかなきゃいけなくなったので(以前はわりと近道が通れた)ちょっと時間がかかります。

前段がながくなりました。

9月2日は7時に高野山駅に息子を送ってから、そのまま嶽弁天に参詣しました。

月まいりとして僧侶になってから私が行として行っているものです。

弁才天とのご縁を考えてみますと、長いあいだ守っていただいているのかな、という思いがします。

わたしは文筆家の側面もあります。高野山にくるまで23年間、東京・埼玉で編集ライターとしてしごとをしていました。

弁才天さまは、文芸や音楽をつかさどる面もあります。

日本では江戸時代には七福神のなかでただ一人の女尊として財宝を司る尊格として人気がでます。

しかしながら、弁才天はもともとサラスワティという河の化身(女神)なんです。サラスワティ河はガンジス河と並ぶ大河だったのですがいまはありませんね。

水をつかさどる…つまり、嶽の弁天さんは山の中に祀られていますけれども、これは「分水嶺」としての位置づけなんですね。

高い場所から低い場所へ流れる水。決して高いところから低いところへ、いくらでも、ふんだんに、慈愛の水が与えられていくのです。

高野山のもっとも高い地点(984)から、あちらこちらに水が流れだしていきます。

それはいまは土中を流れているはずですが、人間の活動によりせきとめられているところもあるでしょうがどこからか流れています。弁才天はそうやっていろいろな場所に旅をされているのです。

弘法大師はここに弁才天を勧請されるとき、分水嶺をまもっていただけるよう、願いをこめたのだと思われます。ちなみにここの弁才天は青い色をされています。青い服をめされ、皮膚の色もすこしブルーがかかっています。龍やひげのある大魚に乗っておられることもあります。

嶽弁天前にて

ほんじつは、たってからのご希望があり、古神道の祝詞奏上を念入りにさせていただきました。

最初はせみの鳴き声がひびいていたのに、頂上の鳥居でわたしがご挨拶をすると、ぴたりとせみの鳴き声がやみ、たいへん静謐になりました。いのりのときには、寶珠のなかに入ったようなかたちになり、大きな二つの鈴の中から白い光が顔を出しました。

神々は鈴の中で遊ばれているんだとわかりました。

高野山横笛サロン

嶽弁天からおりてきてサロンを開室しました。

新しい人もおみえで、よかったです。

ネガティブな方も、落ち込んだ方も、きっと笑顔で強くなるように祈っています。

気休めのご祈祷ではありませんよ。きょうは弁天さんとつながってパワフルです。

感謝の雲にのって。