家系の因縁

家系に流れる宗教性と私の歩み

私の母方の家系には、古くから寺院との深い関わりがある。中世の但馬には「但馬高野山」と呼ばれた満福寺があり、豊臣秀吉の焼き討ちを受けた歴史を持つ。満福寺は高野山真言宗の寺院であり、その周囲にはかつて塔頭寺院がいくつも存在し、そのうちの一つが私の先祖が引き継いでいた寺、現在の西願寺である。西願寺は焼き討ち後の復興の過程で宗派が変わり、現在は浄土真宗となっている。家系には、古くから教育と精神性を重んじる気風があった。大正期に生まれた祖母は高等女学校を卒業し、その妹は京都大学附属の看護学校を出て従軍看護師として大陸へ渡った。当時としては非常に高い教育を受けており、家系の文化的背景を感じさせる。現代においても、家系からは複数の住職が生まれている。

母の兄である伯父は曹洞宗で永平寺に入り、修行を経て住職となった。また、親族の中には東京で住職を務めている男性もいる。さらに、西願寺の住職も家系の流れの中に位置づけられる。これらを合わせると、家系からは四人の住職が出ていることになる。私自身も高野山真言宗の住職であり、家系の歴史を知って選んだわけではないが、後から振り返ると但馬高野山の流れと自然に重なっていたことに気づいた。理由ではなく、お導きによってこの道に入ったと感じている。こうして家系の歴史を整理してみると、宗教性と精神性が長い時間をかけて受け継がれてきたことがわかる。私が住職となったことも、その流れの中にある一つの出来事にすぎない。