女性起業家が集まるお寺
現状
現在(令和6年5月)ひとりでお寺をきりもりしています。
イベントや法会のときには、もちろん信者さんやお弟子さん候補生らが手伝ってくれますが、
ふだんは、高野山横笛の会と私が住職をつとめる山麓の祈祷寺・三石不動尊を行ったりきたりしておしごとをしています。
さいきんは、両方で、ほぼ毎日のように相談&ご祈祷や参拝同行にてご一緒に祈りながら歩くというお仕事のご予約があり、休むひまがなく、事務や環境整備が追い付かなくなってきています。
とくにお寺の境内の環境整備が課題で、こちらは業者さんに依頼することにしましたが…。お寺の中のことはすべて自分でやっていますので、おいつかないのです。
壇をなんとか整えて、信者さんやお客さんを受け止める、ということで精一杯の日常です。
商売繁盛をいのる
5月16日、年に3回ほどおまいりなさり、商売繁盛などを御祈願なさる女性起業家の方がみえていたとき、地元の信者さんでやはり女性起業家の方がお水をとりにこられ、初対面となりました。
お二人とも三石不動尊を大事に思ってくださっています。
遠方からの信者さんが、三石不動尊にこれから必要になる人材について、ご意見を述べられていたとき、大きな風が吹いてきました。それは霊感がない、つまりいい意味で鈍感で事務能力の高い人。
遠方からの信者さんが、三石不動尊にこれから必要になる人材について、ご意見を述べられていたとき、大きな風が吹いてきました。ここでこれから来てもらいたい人、それは霊感がない、つまりいい意味で鈍感で事務能力の高い人。
多少なりとも霊感があって、この場所に吸い寄せられてくる方々とは違う人種の人がいいというご意見です。風が吹くとき、それは…
こういうときはいつも、「そのとおりだよ」と神さまがおっしゃるとなのです。
それからご祈祷に入りました。
彼女のおしごとは、彼女しかできないと自他ともに認めるもので、だからこそ、周囲のキーマンとの連携が重要です。
拝み始めると、ラクシュミー女神が出てこられました。日本では吉祥天さまとして
知られていますね。
密教の女尊はとてもたくさんおわすのだけれど、日本に受け入れられたのって「弁才天」と「吉祥天」が有名なくらいですね。
女尊の世界はとても奥深くて、また法力も強いんです。
いま、オンラインサロンライブラリで密教の女神講座がありますので、ぜひ入ってみてください。
いまはパンドラの箱をひっくり返したような時代精神があります。
一気に立ち上がる。かきまぜて、一気に新しいものが表出する。
ラクシュミー女神(吉祥天)は、それをつかさどります。
そんな機運がそこかしこから立ち上っているんです。
それは過去の、思いをのこした女性たちも応援してくださいます。
愛知県では女性起業家を応援する施策がいろいろあるとかで、彼女はそのスキームの中で
事業の拡大を狙っていくということを話していました。
祈祷寺では、彼女の心願が叶っていくよう、背中を押してくださいと
神々にお願いしました。仏さまもその慈悲のもと、みまもってくださいます。
魂が決めてきたとおりに進むことができたらよいので、そのようにお願いさせていただきます。
ご祈祷がおわると、ご近所の女性起業家さんがいらして、名刺交換などなさったといういきさつです。
わたしのところに来てくださる方々には、主婦の方や子育て中の方はもちろん多いですが、女性で事業をなさっている方も多いです。また、自らの個性や能力を生かして社会貢献していらっしゃる方もあります。
もちろん真摯な思いで来られる男性諸氏も少なくありません。
たくさんの方のお顔が思い浮かびます。みなさまの御祈願をさせていただいているそのことが
強いご縁を感じ、ありがたさが胸に迫ってきます。みなさんがおられるから、わたしはご神仏とおはなしをさせてもらえるようになったのですから。
秘仏の祈祷証ができます
そんな日の午後、
三石不動尊秘仏のターラ尊のお札のデザインが上がってきました。
こちらも印刷所にて女性従業員さんたちのアイデアもいただきながら
つくらせていただいてます。秘仏、緑ターラ尊は、速疾なる功力で知られます。
こちらに誓願をしたためていただいて、奉納いただくこともできるようになります。
お寺と横笛の会どちらでも受け付けできるようにしていきます。
ところで、「こまったな、どうしようかな」と思えば、
必要なときに支えあえる方々(信者さま友人がた)に囲まれて、ほんとうにしあわせだと思います。
だからこそ、社会的企業を「お寺」という宗教施設のなかで成功させたいと考えます。
みんなが笑顔になれるような社会を。
起業をこころざし、なんらかを成している女性たちは
お金や地位名誉がほしくて行動しているのではありません。
もちろん必要なものは一定数あるでしょうが、おはなしを聞いていると
社会をよりよいものに、より住みやすい暮らしに、ということが根底に流れる
共同意識であることに気づきます。
私自身もそれを思って祈っていますから、同じような志が集まってくるのでしょう。
それを誇りに思います。
よい祈願をさせていただきました。