地蔵盆の思い出、つれづれ
令和6年8月23-24日は高野山サロンにいました。
大阪からの参拝同行の方の対応をさせていただいたり、9月の行事の準備をしたりしていました。
この日は地蔵盆とされていますね。
横笛の会のご本尊は十一面観音と大日如来です。
ただし、高野山では、横笛法尼は観音さまのほか、お地蔵さまとのご縁が深いです。
なぜなら、かつらぎ町神田の地蔵堂は、かつて横笛が住まっていたとの伝説もあり、横笛さんかなと思うお地蔵さまが祀られています。かつらぎ町天野には横笛さんの供養塔もあり名所となっています。
また、奈良の法華寺(横笛が修行したとされます)には横笛地蔵さんがお祀りされています。
どちらかというと、横笛はお地蔵さまとのご縁が深いのでしょう。お地蔵様は「クシティ・ガルバ」。
大地の胎内(子宮)をさします。美しい飛天のお地蔵さまの尊形もあります。
知らず育まれた宗教心
ところで関西の方にはなじみの、地蔵盆は、関西の行事です。
わたしは長い間(1993~2016)関東に暮していましたので
地蔵盆といえば、とくに母の実家のあった大阪での思い出です。
(NPOを運営していたとき、子どもたちを集めて行っていた田んぼの寺子屋では関東の慣習にならい、お盆は7月でした。きゅうりやなすで動物をつくったりして田んぼにお供えしていました)
大阪にあった母方の祖母が地蔵堂を祭祀していましたので、その町の地蔵堂のある場所は
地蔵盆となるとその前から1週間くらい、テントを張って
子どもたちの遊び場になったものです。夜は神社で盆踊りなどが行われて遊びにいったりしました。
町の子供たちは、それぞれ自分の名前が書かれた提灯がありました。わたしは自分の家のあった姫路にすんでいたにもかかわらず、いとこたちに交じってわたしの名前の提灯もあり、それが毎年箱のなかから出てきて灯されるのは嬉しかったです。
地蔵盆は中学生くらいになるまで、祖父母の家で過ごすのが常で、おしゃべりしたりお菓子をたべたりゲーム(当時は紙や木やプラスチックでつくられたゲーム)をしたり、紙飛行機とか、季節はずれのコマ回しだとか、もちろんお人形さんごっこ、かんたんなお菓子づくりなんかをしたことも覚えています。
時間を忘れて興じた昭和の夏のあそびです。
お供えされたお菓子は地蔵盆のおわりに、まちの各家に「おじぞうさんのおさがりです」といって子どもたちが運んでいきました。お野菜などは川に流していたようです。
日本の宗教習俗は、とても心やさしいものであるなあと思いをいたします。
各地でいろんな地蔵盆があったことでしょう。
あのころは一日テントにいても熱中症とかあまりいわれなかったし(日射病というのはありましたね)いまほど居心地の悪い暑さではなかったのかもしれませんね。
母方祖母について
大正6年?生まれの祖母は兵庫県但馬の出身で、女学校を卒業後(大正ロマンかな?)、おそらく京都の町屋などで花嫁修業(その時代の女の子たちは女学校卒業後は、ほかの家に奉公しながら主婦としての修行をしたそうです。ひとさまの釜の飯をいただくことで、実家にいただけでは学べないいろんなことを学んだんですね。)
そこで、やがて福井県から京都方面に出てきていた祖父と出会い、結婚して大阪に住むことになります。祖母がいつから地蔵堂を祭祀したのかはわかりませんが、大戦を経て、戦士した親族も何人もいたとよく聞かされていました。
大戦後、もののない時代なので、祖母はみんなのために炭の行商をはじめたそうです。
小さかった母は、自分の母親が朝から晩まで仕事に行くのをすこし寂しく、夜は帰りを待っていたというようなことを話していました。
わたしはその祖母の影響を強く受けているのかもしれません。
(わたしもまた三姉妹の長女で、すぐ下の妹は映像関係の仕事を、末の妹は姫路にいます)
4姉妹の2番目だった祖母のすぐ下の妹は京都大学を経て、看護師助産師の資格をとり、戦時中のあるときには従軍看護婦として中国方面に行っていました。戦地で、約束もしていなかった祖母の弟と出会うなど「縁」としてしかいうことのできないエピソードもよく聞かれました。その祖母の妹は戦争から生還して定年まで看護師助産師をしていました。結婚の約束をしていた人が戦死したという話があり一生独身でしごとをした人でした。
細雪ではないけれど、祖母の4姉妹はたいへん個性が強い人たちだったようでした。もちろんもうみなさんお亡くなりです。
東寺定例修行から「大日盆」へ
2020年3月から、毎月21日は、京都の東寺に托鉢修行に行かせていただいています。
これは私の伝授阿闍梨さまが30年来お続けになられている修行で、わたしも三石不動尊を預かることになったとき、ご一緒させていただくようになったのです。
「京都」はそういえば、祖父母の出会いの地であり、現在は西京区にわたしの実母が一人暮らししています。祖母は育った但馬ももちろんでしょうが、娘修行をした京都で仏教行事に親しんだのだと思われます。
8月21日には、修行の後、会合があり、すこし遅くなってしまったので、みなさんと解散したあとは母の家に泊まりました。わたしが休んだ部屋には祖父母のものと、但馬の家のお位牌が並んでいます。事情があり、きちんとした仏壇で祀られているのではないのですが、母は毎日お水をかえてご先祖に話しかけているということで、母をお守りいただいているようです。そのうちに母が拝まなくなったら但馬の菩提寺にお預けするのもよいし、あるいは私でお祀りするかになるかもしれません。
翌日22日は午後からお寺で信者さんの予約がありましたので、早朝に京都の家を出て三石不動尊まで帰りました。そんなこんなで迎えた地蔵盆23-24日だったのです。
28日のお不動さんのご縁日は「大日盆」ともいうようです。
「大日盆」は、前日の27日から28日にかけてお寺で集中祈祷を行います。これも定例です。