名刺をつくりました
高野山に来て8年、僧侶になって5年、住職になって3年半。
令和5年10月、ようやく僧侶としての名刺をつくりました。
いままで、名刺を使う場面がないこともなかったのですが
(お名刺いただけますか、といわれることはときどきあった)
「すみません、まだできてないんです」と頭をかきながら、
お寺のパンフレットや横笛の会の本を渡したりしていました。
7月28日に法人になり、8月お盆の忙しい時期が過ぎてから
どこか「燃え尽き症候群」的な状態が続いていました。
9月末で一連の一切の手続きが終わってようやく本当に
落ち着いたんだなあ、それが名刺の完成というひとつの
できごとに投影されているわけです。
「 高野山真言宗 宗教法人 三石不動尊
代表役員住職 佐藤妙泉 」と記してあります。
また、裏面には英語表記も使いました。
仏教は国際語
仏教は国際語、これから海外でも活動したいという意向をもっています。
日々、あまりにいろいろなことがありすぎて、昇華しきれないまま、
ときには弱音をはきたくなることもありました。
しかし、なんでしょう。
突然いろんな憂いが消え、誤解をおそれずにいえば
ほんとうにどう~でもよくなってしまったのです!
全身から力が抜けていき、おそれや不安が霧散していきました。
「こうしなきゃ」といったこだわりもなくなって、
それがなぜなのか、振り返ってみますと、このお寺を復興したことと
無関係ではないように思えています。
このお寺は、私が一人で復興したというわけではなく、いろいろな方々の
お力がありました。中でもお大師さまは一番です!
だって最初は、奥の院から、お大師さまにゴム紐を背中につけられて
「さあいってこい」といわれているように強く感じておりました。
この3年半の月日を振り返るにあたり、
数えてみますと、前の住職のお力はもちろん、すでに遷化された歴代住職、
お師匠さま、伝授阿闍梨さま、各ご信者さま、
境内整備など実際的に力をかしてくださっている人、さまざまな設備のご寄進をしてくださった方、
いつも話を聞いてくださった方、お寺のある地域の山田吉原村のさまざまな方々、娘や息子、
本山の皆様、行政の皆様、組寺の皆様のほか、節目には、実際には手を下さなくても確実に力を貸してくださっているという
超感覚さえ作用したこともありました。
そんなこんなで、令和5年9月末、第1章が確実に幕を閉じたことがわかります。
極上のリラクゼーションと波動調整
この経験は、たいへんだったし、尽力してきたのですが、それ以上にたくさんのものを
いただけたのだということが、終わったいま、しみじみとわかります。
7月に法務局で認可となったとき、「極上のリラクゼーション」というべき
安ど感、お大師さまのおしごとができたというしみじみとした喜びが胸をよぎりました。
そこから大きな目標を達成したあとの空虚感がおしよせた9月を
経て、建物の測量登記も終わり、ようやく区切りの太い線がひかれたのです。
そして私は確実に一段上がらせていただきました。
大きな大きな変化がゆったりと私自身に作用して、いままでなかったような心地で
たいへんよく「眠り」ます。
疲れもあるのでしょうが、波動調整もあるのだと思います。
どんなときも、すべて100、すべていまが最高で
OKなんだと心から思えます。
そして悩んでおられる信者さんへのアドバイスも
辛い時も苦しい時も悲しい時も生きているなかで
一瞬一瞬が最高なんだとお話させていただいています。
ことしいっぱいは少し精神的にゆったりと過ごさせていただき、年末に
一仕事こなして、来年に備えたいと思っています。
名刺は遅ればせながら、順番に、関係者のみなさまにお渡ししますね。
ありがとうございました。
令和6年からの第二章もよろしくご指導くださいませ。
ほんとうに皆様のお役にたつおしごとができるのはこれからだと
思っております。合掌
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