令和7年の事業振り返り〜弁才天秘法を中心に〜

高野山10年、横笛の会7年寺院の住職として6年、

令和7年は割と悩むことも多かったんだけれど、それは、もう慣れてきて、1つのことをするのに手際が駆け出しの頃よりはスムーズということで自分が達成したという感じがないと言う事が理由だと思う。それは今年1年の振り返りを今やっていて思ったこと。

年初1月にやろうと思っていた事はほぼできている

三石不動尊

◎女性信者さま出仕の戦没者慰霊祭( 5月3日)

◎熊鷹社姫神社の入魂式( 9月28日)

◎慰霊供養五輪塔建立( 11月16日)

横笛の会

◎高野山の部屋に持仏間をととのえる(9月1日)

◎横笛の会 日本縦断出張講座の第一回を開催( 12月14日)

葬儀導師も年間9回あったし、供養もたくさんしてきたし、月参りご祈祷も縁日祈願も変わらず行なっている。横笛の会では参拝同行も増えている。それなのになぜ私は仕事をあまりしていないような気持ちになるのかと考えてみますと、それは一つ一つがすっかり仕事になってしまって、ある意味こなすようになっていることがある。最初の頃は、やっぱり一つ一つが新鮮で思いも深くだから仕事をやったと言う気持ちがしていただけだ。信者さん側から見るとまた違った見方があると思う。私にお経を上げてほしいと言って、遠くから供養に来てくれる人もいるんだし、もっと自信を持って良いはずなのになんだか今年はそういう意味では割と辛かった。やったことが自分でしっかりと抱えきれなかったような感じ。

寺院に出入りなさる方々のなかで、人間関係のトラブルもじつは割とあった。高野山やそのお膝元の地域は、今でも信心深い方々が多くいる。僧侶じゃなくても、拝み屋さんや自称、スピリチュアルみたいな人もたくさんいる。そしてこんな世知辛い世の中だから、お寺に来て、そこに来ている信者さんを自分の活動に勧誘したりする人だってあるのだ。常識を超えるようなことをなさる方だっている。今までだってあったけど、それは笑って見ていた私。だけど、今年はそれがあからさまで大変傷ついたし、自分自身もそれを解決するのに労力を要した。そういった問題が起こるのも、大きな行事をするときに、自分がまだまだ力が足りないからで、それでも多分今までのいろいろな疲れが出てきたって言うこともあったんだと思う。それにムチ打つようにして、3月30日から10月18日までは弁才天秘法に打ち込んだ。修行だから、これも辛いことが割とある。今まで見てこなかったことが外に出てくるわけだから。だから、きっちりと仕事をこなせた1年であったと言うことの裏には、割と辛い思いがあったわけだ。何にも裏表がある良い悪いと言う意味じゃなくてね。それに、それがあるからこそ、また一皮も二皮も向けていくということが仏道にはあるんだけれどね。

今年のお正月を振り返った時、現在の境地は本当に全く違っていて、それだけたくさんのことを経てきたっていうことがわかる。今SNSを辞めているのも境地が変わったからということが1番で、なりすましが出てきたことが理由ではない。こうやって変わっていく。大きく広く拝むとをやっていくと、今までのように一人ひとりにそれほど深く関わっていくと言うことも以前よりはできなくなっている。だから、それに合わない人は離れていくことだってある。仏道

では1人の僧侶が全てできると言う事は無いと言われる。つまりそのようなことも受け止めていく流していく。それでもなおかつ掘っていくということが求められる。どんどんどんどん厳しくなっていくわけだ。でも大きく見た時はある意味楽になっている。いろいろなことにこだわりがなくなってくるからだ。

具体的に

3月開白

4月仏像勧請 

5月慰霊祭

6月社の修繕

7月嶽弁天御霊分け

8月持仏間の充実

9月姫神社入魂

10月結願

11月五輪塔完成

12月冊子完成(10年のまとめ)

弁才天秘法の外に現れた成果

※年初に、区切りでやろうと決めた、弁才天拝み込み、戦没者慰霊祭、なんらかの出版、五輪塔建立。

決めていなかったのに実現した熊鷹社修繕と姫神社建立は、秘法を通して顕現。