令和7年あっというまの振り返り

海外活動の準備をしていると令和6年度のタイ、ネパール、インドがよみがえり、ついこの間いってきたばかりなのになあと思います。つまりこの一年がはやかったのは、とくべつな令和7年吉祥であったからです。

まず私が住職をつとめる三石不動尊は庫裏建立90周年。

ダライ・ラマ法王は御年90歳。

太平洋戦争終戦80年。

わたしは令和7年年明けから、ことしという今、やらなければならないことについて考えていました。

一番先に考えたのは戦没者慰霊です。これは令和4年ごろから、三石不動境内の大きな観音さまがおこしになったころから本格的に始めています。もともとこの仏さまがおわした九度山の寺院で、そのときのご住職が戦争からかえってこられて戦没者慰霊をなさっていたというから、わたしに残りが移ってきたのでした。令和6年は土砂加持法要で南方戦線を含めた供養を行い、いろいろと取り組んできました。令和7年には女性信者さんが主体となって読経ができないかなと思っていたら実現できました。

慰霊については、約5年間でお預かりしたご遺骨を埋骨する施設をこの年につくりたいと思っていました。折に触れて石屋さんと相談を重ねていましたが、町石型五輪塔を建立して慰霊塔とすることに決まったのも年明けごろでした。

慰霊ということで3月に沖縄に行き、いろいろと戦跡をまわったのでしたが、そのとき新しい弁才天法を伝授してもらってきて、かえってきて私は3月30日に嶽の弁才天に向けてこの修法を開闢しました。わたしは高野山に引っ越してきた2016年3月30日、すぐに嶽の弁才天のふもとで神秘体験がおこり、また霊障にも苦しんだことがあります。弁才天と結縁したのははっきりとはこのころでした。その弁才天に向けて修法を行うことにしたのです。

この修法の中で神様の遷座と新設を行いました。8月には封じの強かった木を何度も供養して切り、九度山の廃寺に残された御魂を何度も供養し、三石の神様がお堂内に遷座されたことによって外の鳥居を撤去しました。修行のあるお寺は動きがあるというのはこういうことなんだなとわかりました。

私が弁才天秘法を修していたのは高野山においてなのですが、わたしが住職をつとめる山麓の三石不動にもその影響はすぐに波及していったのです。

10月18日で123座となり、嶽弁才天さまから「今季はここまで。八千枚護摩に進みなさい」という声を受けて、10月29日に八千枚護摩の伝授阿闍梨のお寺へ挨拶と報告に。「やっとやりますか」とのお言葉。

結願を5月16日と決め、準備にかかっています。当日は、誰もが知る、往年のドラマーも参加予定です。

護摩札を注文することにより、ご参加、応援いただくことができます。護摩札は通常より大きいサイズですが変わらず1万円です。どうぞ先行申し込みも受け付けます。

kukainoiki@gmail.com