令和6年9月御瀧水行~その他定例修行よもやま話

定例 三石不動瀧での御瀧行

9月1日、朔日ですので、お護摩か水行かといわれていたのですが、祓い浄めに重点をおきたかったので、朝いちばんから三石不動瀧に上がって御瀧にはいりました。

三石不動瀧は、弘法大師が21歳のときご修行をした場所です!

橋本市にとっても、また、高野山真言宗にとっても、とても大事な場所です。

昨年、令和5年6月に御瀧がかつてのように開かれてから、そのときは座壺がはっきりと出ていたのですが、1年あまりのうちにやはり上から少しずつ土砂がたまり、お行のときは手で土砂をはらいのけてから行います。それでも細かい石があるので、正座をする足がいたいです。

毎月1回、夏は月3回くらいは御瀧に入ります。これからはゴザを活用しようと本日思いました。

令和6年7月にお亡くなりになった信者さまがおられるのですが、彼女は御瀧を信仰されていて、令和2年に三石不動尊に入寺したわたしに、御瀧のことをいろいろと教えてくださいました。

彼女は「御瀧は自然のままでいいのよ。御瀧に神様がいらっしゃることは、わかっているんだから」とおっしゃっていました。

しめ縄だけは信者さんたちとはりましたが、そのほかは自然のままです。

だからすこし多い雨が降ると木や石が落ちてきたりもします。大々的にそうじをするというよりも、自然にまかせておけば、ときどき大水できれいに流してくれたりもします。

きょうも「自然のままでいい。ほんとうに信仰するひとは自然とまもられていくんだから」というようなお声がどこからともなく聞こえます。お行のあと御瀧をみあげると白く美しく輝いていました。

御瀧にはおもに白龍さんがおられ、八大龍王もおわすと思います。さらに仏教的には観音さんも弁天さんもおられます。

己巳~弁才天礼拝、嶽弁天との縁について

明日9月2日はまた一番で、弁天嶽にのぼり、嶽の弁天さんにご挨拶をと思っています。

何度か書いていると思いますが、高野山にはじめて住んだのは嶽の弁天の真下あたり。

大門から路地をはいった一軒家でした。

そこで小学生のむすことふたり暮らしをはじめたのが2016年3月30日。

さいしょの日は、ひっこしの荷物がまだ全部とかれてなかったので、ごはんだけたいて、レトルトカレーを食べました。

いまは9年目にはいって小学2年生だった息子は高校2年。

ひょんな縁で登山というスポーツにであったむすこは、3000m級の山々にも登らせていただいています。むかしの仕事仲間が「修験やな~」と言っていましたが、森林限界をこえてのぼっていくということを息子から聞いたときには、「たしかに~」と思いました。部の方々がしっかりされていて、息子の高校は近畿大会にも行くようですので、みなさんが安全に楽しく登山スポーツにとりくんでくださることを祈っております。

わたしの嶽の弁天さんとの結縁は、比較的早い時期だったと思われ、たしか大学院2回生のときだったか、当時「高野山教報」というタブロイド紙に、「高野七弁天物語」を連載していて、年間通して弁天さんの取材も多方面から行っていたのですが、ある夜、「おんそらそばていえいそわか」というご真言を延々といいなさいというご指導をうけたりという、神秘体験がありましたね。

大門のそばに3年間住んだ経験で、嶽弁天との縁が自然と強いものになっていました。

それから大門から少し離れたところに引っ越したのですが、そのころから月1での嶽の弁天詣でを定例修行として行うようになっています。

これはいつのときか、おそらく己巳の日だったのですが「きなさい」と言われて、参道をあるきはじめたら、うぐいすが狂ったようになき、頂上での祈祷の際にはお灯明が激しく揺れてもえました。そのおろうそくを持ち帰って夕勤行のときに使ったら、部屋でもまたお灯明がふしぎな揺れ方をしたので、「これは毎月のぼらなあかんな」と思ったのです。それから一人でのぼったり、信者さんの希望があったらのぼったり、ときにはリトリートで複数人でのぼったり、続けています。

定例修行は三石不動瀧、嶽弁天のほかに、お護摩、東寺托鉢を一か月のうちに行っています。

その他、お不動さま、聖観音さま、十一面観音さまのご縁日をそれぞれ該当の日に行っています。

わたしの一か月は、曜日よりご縁日でまわっています。

今後も励みますのでよろしくお願いします。合掌