令和5年の試練と僥倖、そして来年の命題
令和5年は、宗教法人三石不動尊を再興できて、前の住職との約束を守ることができて
心の底からほっとして、またお大師さんに頭を撫でていただいて、誰に褒めてもらえなくても
これでよかったという極上のリラクゼーションを感じることができました。
ご神体である三石不動瀧も顕現し、水量も増えて神の行も始めることができました。
いろいろな宗教的めぐみの雨が降ってきました。
しかしながら、日々はたいへんきつい日常でした。
歳の始めから陰湿ないじめの憂き目にあいます。
立ち直れないほどに傷ついていたら、
そのすぐあとに、祖師、お大師さまがお寺に来てくださり
ご一緒にお経をお唱えされたこともありました。
また、そのとき伝授阿闍梨さまが思いがけずご指導してくださるなど、
嬉しかったこともありました。
伝授阿闍梨さまは、
「お大師様のように早朝はやい時間に拝んだら」とアドバイスしてくださいました。
よいことそうでないことは、順繰りにきてバランスをとっていることはわかっていたけれど
そのあとも続く陰湿ないじわるには、閉口させられました。
しかし令和5年12月3日のきょう
いじめや陰湿ないじわるは、すべてわたしを成長させてくれていたんだと確信しました。
師匠はよく「僧侶の道は我慢しなければならない」と言っていました。
師匠自身もわたしが少しのことで愚痴をいうことを許してくれませんでした。
「愚痴をいわない」「我慢をする」ということはだから、
修行僧のときからわたしに植え付けられた観念でした。
修行時代はだから、精神的につらかったですよ。
そしてお寺を預かることになってからも、そこは最初、廃寺で、ひとり拝んでいるときは
心細くて心で泣いていたときもありました。
でも、でもね、ここにきて、
なんのために弘法大師旧跡を再興することになったのか、
なんのためにいじめがあったのか
なぜあのときお大師さまがあらわれたのか、
さらにたいせつにしていたこととの分かれについても、
それの意味がことごとく、からまっていた糸がほどけるように、
わかってきたのです。
大きな果実を手にするためには、これから必要としないものを
手放していくことが必要なんだ。
そしてね、いじめによって孤独感の渦中にあって苦しみがとれなかったときには
右往左往してどうしてこんな目にあうのだろうと思っていたけれど
そういうときもご神仏はちゃんとみてくださり
わたしがどう行動するか
どう解決へむかうか
どういのるか
そんなことを
いかに辛苦をともなう体験であったとしても
それをこえられるかどうかをご神仏はみている。
つまり「試練」
創意工夫と試行錯誤と堪忍により
課せられたハードルを超えられたと判断されたとき
自分自身のたましいが決めてきた人生においての
重要な局面がひらいてくるのです。
[ときをえてそのときジャンプする
だから感情は捨て去ることが仏道ではたいせつなのだ]
そしてそんなときは、厳しい師匠も手を差し伸べてくださいます。
ここぞというときには!
そんなことが
この一年間で、骨身に染みてわかりました。
うまくいかないことが多々あっても
気にする必要はありません。信念さえあれば
自分自身を信じることさえできれば
ホワイトアウトもいつしか晴れ
めざす道へと帰ってこれるのです。
いじめの人たちにも心から感謝することがほんとうは大切です。
そうすることで、ぐっとあがることができるのですから。
強くしてくれて、ほんとうに、ありがとう!明るい笑顔で言ってみよう。
令和6年は自分を信じてどこまでやれるか
そんな命題がいよいよ決まってきます。