世界の混沌と人間の運命~それでもいのる~

仏塔と仏像の破壊

7月29日、チベットの仏塔やパドマサンバヴァ像などが破壊されたというニュースを聞き、ほんとうに悲しい気持ちです。チベット密教の叡智については、わたしはダライ・ラマ法王からの許可灌頂や実際に謁見させていただいての経験から、自分をかたちづくるものとして大切です。

世界は、寛容と調和がたいせつです。

暴力でもって、自分自身の位置をまもるために、歴史や文化の象徴を破壊し続けることは、ひいては自分自身の大切なものもいつか同じ目にあうということです。それは古今東西の歴史が証明しています。なぜそのようなことをする必要があるのでしょう。

それはおそれや嫉妬でしょう。

ダライ・ラマ法王は、調和ということをいつもおっしゃっています。

人間の証明

違いをこえて手をつなぐこと、、、それはいつの時代にも人類に問われていることです。

わたしはこれまで、さまざまな職業につきながら、自分なりに、それらの問題にアタッチしてきました。

最後には、祈ることを選び、祈りは人間のもつ力のなかでもっとも強い光だと信じ、職能として実践をしています。

しかしながら、世界はよくなるどころか、また修羅と戦乱の道へ進んでいるようにも見えます。

なんとか喰いとめようとすることがいまの祈ることなのでしょうか。

わたしはどのような方向へ向いて祈ればよいのでしょうか。

悲しみが勝ってしまいます。

奪い合いの世の中はもう、ほんとうに飽き飽きします。

涙を光る杖にして、立ち上がっていきましょう。

いのることでなにが変わるのか?

いのりは目に見えません。

だから即効性を求める人がいたり、

いのりで平和になったのか?という問いをぶつけてくるひとも過去にいました。

それははっきりとは答えられません。

でも、恐怖や嫉妬や怒りや悲しみから武器を持ってしまった人をいのりは抱きしめることができます。

そして、その武器をひかりの剣にかえて渡してあげることもできるかもしれません。

わたしはいつも祈祷のときは全力で、相手に向かい、その方が望めば光の道へといざなういのりを続けています。

だれも、それをわからなくてもいいという境地までにはまだたどり着いていませんが、何年も何年も、最初にペンをもっていたいのりの時代も加えれば何年も、それを行ってきました。

まだまだ足りないかもしれません。

しかし世界から戦争をなくすことが私のいのりのモチベーションです。合掌