万物の霊長、という言葉遊び
21世紀に入る前から人間存在を軽視する動きはあちこちにありました。もう見える形でそれはあって、だから今ひとが、生存の危機に瀕しているのは、昨日や今日、始まったことではありません。例えば野生動物の脅威ですとか重篤な病の蔓延ですとか人間性の外だけではなく、内側からの断絶であるとか、本当に人間存在そのものが変化してしまうような脅威がたくさんあります。それらについて、ようやく多数の人が気づき、考え始めた契機でもあるのでしょうが、しかし例えば自然存在を軽視して、人為を加えてきた事は、世界中の様々な事例が既に示していることでしょう。
私たちは既に自分たち以外の生き物を軽視してきた歴史が長く続いています。しかしながら、当然のように人間は生き物です。祈りの中にいるとよくわかるのですが、人間は周囲の環境と同じように一つ一つの細胞が合わさってきていて、その細胞を1つを軽視してしまえば、自分の命を傷つけるようなことにつながっていきます。これは自分の中だけではなく外も同じなのです。自分たちだけが良い自分だけが良いと言うような事は、形式的や見た目ではあるようには見えてもあり得ません。どこかで必ず逆の現象がぶち当たるのです。
私たちは今何を考えれば良いのかと言う事に置き換えると、過去を変える事は実はできるのです。反省するとか顧みるとかそういうものは流行らないことの代表かもしれません。でも過去に行って過去を手直しする事は可能なのです。私はたとえば慰霊においてそれを行っています。それは今の常識や普通と言う感覚の中では収まらないものであり、しかしながら僧侶と言う自分の属性役割、職業において誠実に仕事をしていこうとすれば、そこの領域に1日のほとんどを費やすと言うようなことになります。どうか今目の前の出来事に疲弊せず、過去は変えられることを知り、さらに未来からひかりの綱が誰にも降りていることを知り、希望を胸に抱いて、進んでいくようにしてください。まずそこが第一歩です。人間の意識は全てを決めていくと言っても過言では無いのです。そして、優しさ。観音の慈悲や慈愛、弁財天の祓い力、不動存在の不動心などを、自分の内に取り込むことにより、諦めていたことさえ可能になります。しかしそのベクトルは自分中心ではなく、世界が中心となります。世界が中心とは、人間以外の生き物も自然存在、土や水さえも清浄にする大きな。しかし不可思議なエネルギーです。それを感じ取る時、人は再び人間性をまとった霊長の性質を取り戻すことができるのです。
法務アドバイス 灰は、購入するより、拝んで自ら生み出すべし
