バンコク2日目 3月2日

🍀12月16日のできごと🍀

今日は納骨堂を拝む日です。

人生は頼まれごとを続けていけばいいという考え方がありますが、

その文脈でいうと、令和5年12月16日あの日に!

辻政信さんの御魂から頼まれごとがおりたといえるのでしょうね~

あの日のしんどさ加減は、いま思い返しても思い出せるくらいの苦しさ。

「ガンガンする頭痛」と「それにともなう吐き気」です。

御霊が身体に入ったしるし、これは妊娠中のつわりともよく似ているのですよ。

そのとき思ったことは「バンコクというのは、戦争の爪痕が色濃く残っている国なんだ」と

いうこと。日本の巫覡的にはそうなりました。

わたしが休憩するためとってくださっていたホテルで、熱湯と冷水のシャワーを交互にあびてから

ビジネス関係のご相談を受けながら、信者さんとお食事をすることになりました。

この信者さまは、三石不動尊で護摩祈祷を受けられて商売繁盛が叶ったということで、よくしてくださいます。こんかい、インドに行くときにバンコクで途中下車するということから連絡をとりあい、スワンナプーム国際空港まで迎えにきてくださったのでした。

すてきなタイ料理がいろいろと運ばれてきましたが、体調がそんななので、あまり食べられませんでした。ずいぶん残りましたが、どこかで待機してくださっている信者さんの会社専属のドライバーさんのお持ち帰り用にしてもらって、無駄になりませんでした。

バンコクでは階級社会で立場の差がはっきりしているそうです。

とても温厚そうなドライバーさんでしたが、どこかで待っていてくださって一緒にお食事をすることはなかったです。だから残りでしたがおいしいお料理をお土産に持って帰っていただくことがよかったと思いました。

米粉の麺にエビが乗っていて、すだちをかけて食べるお料理がわたしはとても好きになりました。

感謝です。信者さんのご祈祷をその後に行いました。

🍀ご祈祷についてすこしお話しますね🍀

寺院にいたときよりは頭痛吐き気も収まってきましたが、この後、お部屋でご祈祷するお約束になっていて「できるかな」と若干不安ではありました。インドで使おうと、お札やおまもりはいろいろ持ってきていたので、そのなかで合うものを信者さんにお渡ししました。

わたしの祈祷では、まず最初に念入りなカウンセリングを行います。

祈祷者がどういうことかを理解するのもそうですが、たいていはご神仏の御前でさらけだしていただいて、最終的には、わたしはお願いはさせていただきますが、ご神仏がご判断をくだされて、その方のよき方向にもっていってくださるというものです。

ご祈祷では、私自身が本調子であることにこしたことはありませんが、万が一不調でもご祈祷ができないということにはなりません。不調なら不調であることをご神仏にお伝えして、「それでもこの悩み困っている方をお救いください、よき方向へ向けてさしあげてください」といのります。ご神仏の力がつよければ、それで十分なのです。

信者さんの信仰心が本物のものであれば、それは最終的には魂の誓願のほうへ向けられていきます。

3月16日夕方バンコクで行ったご祈祷では、「ビジネスについて、どうなるかということはいえません。もしかしたら、今、あなたさまが進みたいと思われている方向へは進まない可能性もあります。しかしながら、最終的にはよい方向へ導かれます。すこし我慢するシチュエーションもみこんでおくとよいかもしれません」ということをお話させていただきました。ご祈祷後に言葉をいただける形になります。

後日談では、そのとおりに動いたそうです。そんなときは少し不安にもなりますが、成り行きを祈りつつ静観していくということも大事な要素になります!

🍀ふたたびワットリヤップ3月2日へトリップ🍀

こう考えているとやはり、12月16日から3月へ直線でつながっていることがわかります。

3月2日、朝勤行前に、大塔などを拝み、8時の朝勤行に参加した後、おかりしている僧房に

戻って準備をしていました。

日本人会ご担当のMさんが10時半ごろやってこられて、納骨堂をあけて準備をされていました。

ご挨拶をしてわたしもそっと納骨堂の中を拝見しました。やはりビリビリとした感じがいたします。

私もMさんを手伝って準備に入りました。ワットリヤップのお隣にあるお花市場で購入してこられたというお花をこころをこめて飾ります。

そのあと、地下法場が気になったので、そこのお線香とお灯明をできる範囲ですが、きれいにしてみました。

法要後、事務局のMさんとバンコクの近現代の歴史についてお話したり、資料をいただいたりしました。ご本尊のお釈迦さまについても、代々、修復がなされながらだいじにされてきた由、この納骨堂は移民のアイデンティティの中心的に存在になっていることなどお話されました。明治のはじめから、バンコクへの日本からの移民はあったことを知りました。すばらしいご本尊です。だからこそ求心力のあるお堂となっています。ただそのことと、「母国に帰りたい」と思う御魂の気持ちは別なのかもしれません。

さらにはわたしはそのあと、夕方まで拝みの余波が消えませんでした。具体的にはほてりや動悸があったり、くらくらとしたり、暑いこともあるのでしょうが、終わった後も瀧のように汗が流れ続けました。拝んでいる最中には涙となって出たものもあるように思われます。細かいところは思い出すことができませんが、御魂との交歓が深かったのでした。

ほんじつは彼岸中の3月22日、まだ20日前のことになります。「日本に帰りたい」といってわたしと一緒に帰ってきた方々は、5月3日にご無事にあがっていただきたいです。

🍀慰霊とご供養、ご祈祷🍀

わたしが現在自分のしごととして担っているのは慰霊とご供養です。

さらに祈祷は護摩も含めて私の得意とするところとされています。

じつは祈祷も、少なくないケースでご供養がかかわっています。

必要なご供養をおこなうことにより、現世がよくなるのです。

病気や困りごとなどは、ピンポイントのご供養で解決に向かうことがあります。

拝む前と後では私の体内の組成もまったく変わってしまうように感じています。だからどのように慰霊をするか、ご供養をどのような方法で行うか、それをいつどこで行うかなど、ご神仏と御魂の分野では、まだまだ解明されていない仕組みが多々あるように感じます。

おそらくは、その見えない世界にも精緻なしくみがあることは確かなのでしょう。このあたりのことは、いずれわかりやすくまとめて書きたいという気持ちはいつももっています。

祈祷についての少なくない誤解をとくためにも、書いておきたいですね。

御霊世界の情報網とは精緻ですばやい体系をもちます。

祈祷者はつよい気持ちと誠実なこころを持ち続けることが肝要です。

ワットリヤップでの日本人納骨堂でのご供養(3月2日)は、辻政信さんのことから始まったことではありますが、バンコクと日本をつなぐさまざまな御魂との出会いと縁、そしてふたたび分かれるというこの世の現実に繋がってきたといえます。翌日3月3日はまた不思議なことが起こりました。(続く)