バンコク1日目 3月1日

ワットリヤップ🍀

令和6年3月1日、バンコクのアマホステルというちょっとメルヘンチックな宿で目を覚ますとわたしは、宿舎すぐそばの河沿いの屋台カフェでトーストとカフェラテをいただきました。ほんとうはおにぎりのようなごはんをいただきたかったのですが、昨夜から食べていない状態の身にはたいへんありがたくおいしいものでした。

いただきながら。。。すでにここはワットリヤップに近いはずです。昨夜も到着が遅くなってしまったため、どのようにして目指す慰霊の端緒をつかんでいくかということが大きな課題でした。

出かける準備をしているとまたしても「とにもかくにも、ワットリヤップに行けば道が開ける」というではありませんか。携帯の充電をしながら、翻訳ソフトを使って、わたしがバンコクに来た目的をタイ語でノート機能にメモしました。

「わたしのお寺で5月にこの日本人納骨堂に関係する御魂の慰霊祭を行うことになっています。ついては、納骨堂をおがみたい」ということでした。

辻政信さんと7人の僧、そして、英霊や戦犯と称される方々の縁がつぎつぎと重なってきていたので、わたしが現在住職をつとめるお寺において、恒例5月3日の三石不動瀧慰霊祭では、辻さん以下の慰霊供養を行うことになっていました。あとでわかったことですが、5月3日は辻さんのお父様の御命日にあたります。

第一回の橋本尋常小学生列車事故の慰霊祭のときから、助力してくださっている行者さんは「べつにもう一度行かなくても、調査を重ねて厳修すれば、それでいいと思うよ。また行けばいろんな御霊さんを連れて帰ってきてしまうよ」と言いましたが、「もう一度自分の足でバンコクを歩いてみなさい」という声が響いていましたので、やってきました。

バンコク在住の信者さんがいらっしゃり、その方と12月16日にはじめておまいりして以来、ワットリヤップに向かいます。12月16日には大きな異変を感じてしまったことが、3月1日のいまに繋がります。

リヤップ寺につくとさっそく、交渉にはいりました。ちょうど少し日本語を話せる体験修行僧(タイでは仕事につく前の社会人としての教養のひとつとして寺院での修行が位置づけられています)の方がいらっしゃったりして、僧侶の方々はすぐに理解してくださいました。ただ、納骨堂の鍵を開けるには、現地の日本人会が管理しているから、鍵はここにはないということでした。

まずは外から拝むことにします。お灯明やお線香はすべて日本から持参していましたが、火種がなかったので、ワットリヤップの僧侶の方が、マッチをもってきてくださり助かりました。

神仏習合のお次第で2座拝みました。

紙のおふだを依り代として拝んでいましたが、その紙のお札に触れた際に、ビリビリという電気刺激を感じて「扉をあけて拝んでほしい」というのです。視線を上げてみますと「御用の方はご連絡ください」という張り紙があり、日本人会の電話番号がありました。わたしはその場で電話をかけました。

そうしますと、「鍵をあけにいく時間がどうしてもとれなくて難しい」とのことでした。週末にはイベントもあり、よゆうがないそうです。わたしは、「もしも状況がかわったら、わたしは4日まで滞在しますのでご連絡くださいね」と自分の電話番号をお伝えしました。

ぐるぐる変化のなかで最善に至る~大金剛輪~🍀

そのあとは、辻政信さんがバンコク時代によく通われたという、中国の政党関係のライブラリがあった街に行きました。当時、辻さんはさまざまなことを調べるために通った場所のようですが、いまはおそらく移転しているか跡形もなくなっていて、ホテルや商店街が立ち並ぶ繁華街となっています。魅力的な露店もいろいろありましたが、気温が高いのと、かなりの喧噪でぐったりしてしまいました。まちは連休前で、めぼしいホテルは満室です。

そしてそのとき思ったのが「お寺(ワットリヤップ)に帰りたい」ということでした。午前中2~3時間拝んだことで、すでにバンコクの中で心くつろげる場所となっていることがその感情の動きでわかりました。

そんなときを前後にして

さきほど電話でお話した日本人会のご担当の方からちょうど電話がかかってきました。

「明日2日11時でしたら納骨堂に行けます」とのこと。

すぐにお約束をしました。状況がいよいよぐっと変わってきました。

ところで、一日にバンコクで落ち合う予定だった信者さんの仕事が多忙で、彼とまだあえていませんでした。

寺院で過ごすことにより理解する仏教のすばらしさ🍀

彼と連絡がとれたら3月1日以降の宿を決めるという話になっていましたが、わたしは寺院に滞在したいという思いがわいてきて、リヤップの住職さんにお願いすることにしました。

ワットリヤップに戻って、「明日2日、納骨堂をおがむことになりました。ついては、辻さんの滞在したこのお寺でじっくり拝みたいから、3日間おいてくださいませんか」とお願いしてみました。

「上座部仏教では現代でも戒律を厳しくまもっていて、女性に触れてはいけないことになっています。僧侶とはいえ、同じところに住むのはちょっとむずかしい…」とおっしゃったあとに、すぐに「離れのホールなら、どうぞ」と。すぐに案内してくださることになりました。

帰るときに「あなたのミッションはぶじ終わったの?」と話してくださったこともあり、国境をこえて僧侶の魂でわかりあえた気がいたしました。ホールは、とても広く、ウォッシュルームもあって、お釈迦様もおわす、いたれりつくせりの環境でした。これで落ち着いていのることができます。それがなによりうれしいことでした。僧侶は拝んでなんぼのものであるというわたしの意識に適った場所です。

タイ国では僧侶はふとんやベッドを使いません。わたしは毛布二枚と枕、そして蚊帳を貸していただき、たいへんありがたいと思いました。境内では現地僧侶と同じように素足で歩きました。

バンコクでも寺院に滞在することが叶って、やはり私は自分は僧侶なんだといまさらながら思いを深くしました。後日信者さんと落ち合って「ホテルにかわるかどうしますか」と問われましたがわたしはそのままお寺に滞在することを選びました。

最後には、いろいろとご指導をうけた僧侶の方から「またいつでもかえっておいで」と言っていただくまでに、この場になじんでしまったのでした。

写真は一日目、外から拝んだときのお灯明です。すべて辻政信さんが背後にいて決めておられたように思っております。「同じ経験(滞在)をしてみてほしい」ということだったと理解しています。

リヤップは、辻さんにとって短い滞在ではありましたが、後年1961年にここからふたたびラオス国境へ旅立ったことを考えるにつけても、大戦を指揮したお一人でもあった辻さんは、この仏教寺院で戦争の傷跡からしばし癒された時間があったに違いありません。

そんな仏教のすばらしさに理屈なく思いいたります。(続く)