ふたたびバンコクへ~巫覡的旅情~①

令和6年2月29日に関西国際空港をたち、バンコクに向かいました。

直通と思っていた飛行機は、とちゅう、タイペイに立ち寄り、

そこで降りる方もあり、給油してからふたたび同機でバンコクへ

向かうというルートでした。

わたしはおっちょこちょいなところがあり、タイペイの空港でいったん

全員が降機してから、行先にしたがって散り散りになっていくときに

迷ってしまい、ほんらいは近くで乗り換えを待たなければいけなかったのに、

人の波におされて、ふたたび乗り込む搭乗口がどこかわからなくなってしまいました。

なにせ、台湾でおりるなどとはつゆも思っていなかったのです。

空港の方にたずねてみても、なかなか細かいところが伝わりません。

時間が経っているように思えたので、おいていかれたかもしれないと

不安におそわれ、チケットをとってくださった日本の旅行会社さんに焦って電話してしまいました。

結論は搭乗口まで猛ダッシュ、航空会社の方や空港の方がしめしてくださった方向へ

行くと、飛行場内を運行する搭乗バスが待っていてくれました。

息があがっていたけれどすぐに発車するわけでもなく、なにか自分自身の時間の感覚が

かわってきていると感じましたが、あせって一瞬「もうだめだ」と思ったのでした。

こんかいは目指す慰霊にたどりつかないと、一瞬だけですが目の前が

真っ暗になりました。おかしなものです。

わたしをオタオタさせたりする仕組みであったり、もうだめだと思わせる事象が

あえてその前に立ちはだかってくるのは、大きな供養や慰霊をするときには

いつもそうです。どうにかしてわたしをあきらめさせようとしているように

感じることがあります。

そもそも!

12月にインドへの巡礼旅のさいに、バンコクでのりかえだったのですが

その乗り換え時間が長かったことで、現地に住む信者さまが案内をしてくださったことが

ありました。そのとき、師匠からのすすめもあり、

日本人納骨堂のあるワット・ラチャプラナ(ワット・リヤップ)という寺院におまいりしたのですが、そこで

強いなにかが憑いてこられたのでした。

わたしは巫覡的な側面がときどき見え隠れするのですが、人生で感じてきたそのたぐいの刺激の

なかでもかなり大きなものでした。

その後インド巡礼旅を終えて、帰国して不動縁日とお正月を経て、ふたたび顔を出してこられたのが

タイ・バンコクにかかわる御魂さまがたでした。

「一度自分の足でバンコクを歩きなさい」とおおいなる存在がおっしゃるので、2月の不動縁日を終えると急遽、バンコクへたちました。

バンコク・スワンナプーム国際空港についたら、行先に近い、

エアポートリムジンバスの乗り場がすぐわかりましたが、もう暗くなっていました。

こんかいの旅は、いったいどのような旅になるのでしょうか・・・