ご祈祷(複合的案件)
盛夏
早朝、せみの音をききながら書いています。
満月を経て、体調不良のかたが周囲にすくなくありません。
仕事がら、病気平癒の相談を受けるからそこに意識がいくのでもありますが・・・
21日、高野山大門は夕方で34度を記録しておりました。
訪問看護をする娘が、90歳近いかたのおうちへ行くと、クーラーをかけていなく39度の熱があったということです。クーラーの風がきらいだからとおっしゃったとのことですが、たくさんお水をのんでいただいて、冷やして熱さましを飲ませてさしあげるとお元気になられたとのことです。
からだに熱をためないようにしましょう。
複合的な要素をもつご祈祷
さて知己の連絡により複合案件に着手しております。
過去現在未来の連関を考えるにつけても、かつて過去にまだ時期じゃないと棚上げしていた課題が現在とつながって浮上してくることはよくあります。
それは、その間に経験した別のことがマイナスのことであってもプラスのことだっても役立ってくるということ。役立つというよりそのピースがなければ解決ができないということ。
「学業成就」や「健康祈願」といった単独の祈願はいつでもできますが、多数の要素や因縁が積み重なった案件というのはもちろん一回のご祈祷では動いていかないこともあります。
調べたり、熟考したり、方法を考えたりしてから、よきときにご祈祷をします。
一瞬一瞬の判断もまた、重要な要素になります。浮かんでくる光景も見たことのあるものないもの含めてヒントを示しています。
また心構えで大切なことは「清明であること」です。
すこしでも邪念があると跳ね返されてしまうことがあります。
信じ切ることができれば、どんな願いも適っていきます。
お金があればなんでもできると信じている人がいるかもしれません。
また、そんなふうに見える時代もあったかもしれません。
しかしながら、深層(真相)は人間性の核心に存在するのです。
信心することはとてもよいことなのだけれど、情報が多いだけに、信心に徹することができる人はほんの少しです。しかし信心があるから願いが叶います。シンプルな法則です。
受け止める力
すこし前のわたしは多くの人に密教の教えをお伝えしたいと思っていました。
しかし、密教の教えを受け取ることができる人とそうでない人があります。
人ではなく時期なのかもしれません。これは自分にはわからないことを受け止める力といってもいいと思います。
また、相手さまによって、わたしはお話の仕方を変えていることに最近自分で気づきました。
そのように言いますと兄弟弟子のお坊さんが、朝勤行のとき「お釈迦さんもそうでしたよね」と言ってくれました。
わたしは「ほんとに、こんなんでいいのかな…」という気持ちがあったのですが、彼のことばで肯定的になることができました。教えは抽象が多いです。具体は信者さまそれぞれで考えていただくことです。
93歳の老僧のことば
老僧と久しぶりに話しました
老僧 起こってくることは誰のせいでもなく、自然がおこしてくることで、そのまま受け止めるのでいいんだよ。だれにもいえることだが、責任を感じすぎなくていいんだよ。