お彼岸の日々

十一面観音さまご縁日(20日)と東寺托鉢(21日)

9月20日は横笛の十一面観音ご縁日。いつものようにサロンで信者さんの縁日祈願をしました。翌日21日は定例東寺での托鉢修行です。尊敬する伝法灌頂伝授阿闍梨さまとご一緒させていただけます。比較的涼しい日で、托鉢ボックスにはたくさん入りました。

さいきんわたしが思うには、みなさん信者さんや会員さんのための仏道であると同時に、自分自身のための仏道という視点を忘れてはいけないなあということです。わたしは、ともすれば必死になって、お寺のことや信者さんのことに献身するというくせがあります。これは、よいように見えて、自分自身を置きざりにしていることもあります。自分自身の健康管理を怠ったり、あまりにも全体のことを考えすぎて道理のとおらないことをしてしまうなどです。倒れてしまえばもともこもありませんから。もっとも、正道をいっていれば、おおきな存在から守られていくでしょうけれども。バランスが大切です。

そんなことを考えながらの東寺修行は、とても実り多いものとなりました。だいたい6時間の修行がおわったあと、ひとりで神様を拝みにいきます。とてもリラックスして拝めたと思ったら、そのあとにたいへんうれしい知らせが入ってきたのです。これは仏縁。がんばって修行をして神様も拝んだから、福音がさえずります。「東寺ってやっぱりすごい」と感慨深く思った次第。

お寺での彼岸法務

一本の電話により願いが通じたことで、うれしくて高揚感のなか三石不動尊まで帰りました。これからがんばって集中していくことが発生しました。

翌22日は秋のお彼岸中日の集中供養日になっていましたので、お寺でとまり、翌日にそなえました。ただ、22日はあまりよい日ではありませんでした。もちろんお寺のことはしごとだから、相手があることで、いろいろなことが起こります。わたしがもっとも悲しいのは、うそやごまかしに出会うことです。そんなときには、「罪を憎んで人を憎まず」と言い聞かせます。それでなくてもいまは上り下りが激しいとき、昨日の幸運に水を差された気もしましたが、広い意味でいうとまだまだ仏道修行をしている身です。そんなこともプラスにしていくように考え方をかえ、気を取り直していったん帰宅することにしましたが、高野山に帰り着くまでもやもやは消えませんでした。

なんでも自分がいたらないと思え、というのは僧侶の伯父のことばです。どんなことでもいやなことが起こったら、「自分がまだまだいたらないせいです。ごめんなさい」というようにと、わたしが僧侶のしごとを始めたころ教わりました。わたしの家はお寺ではありませんが、親戚筋にはお寺だったり僧侶もいます。婚家や実家など三代までさかのぼってもいろいろあるため、宗派もいろいろなのですが、わたしは最近になって、なぜ自分自身が僧侶になり、住職にまでなっているのか、その理由が見えています。

境内にブロアをふいてくださる方が、23日の早朝から境内清掃をしてくださるというので、草取り部隊も募集して半日おそうじ日にあてることにしましたら、数人の信者さんが集まってくださいました。そしてみんなで2時間も作業するととてもきれいになってしまいました。大阪からも信者さんがかけつけてくださいました。そして、もみじのシーズンに合わせて観光の方をもおむかえできるようになりつつあります。知る人ぞ知る紅葉のスポットで写真をとりにくる人も毎年あります。

その後はご予約の方、久々の来寺の方、はじめての方ととぎれなく来寺者さんが続き、たくさん拝ませていただきました。次の集中祈祷はお不動さまのご縁日27~28日になります。

言霊と霊感

24~26日は緊急法務がなければ、秋に発表予定しています論文執筆に充てようと思います。

いろんなことを思ったこの数日間でしたが、失念したことも多いです。

あ、そうそう、1500年前に50歳でなくなった、、、という霊感がありました。

これは、わたしの親族のお寺のことなのか、三石不動尊のことなのか、それ以外のことなのかはいまはわかりません。そんなふうにまったく自分の意識外のことが流れ込んでくるように言葉になってきます。あとからわかることも多いですので、メモをしておくことができれば上出来です。それさえもできなければ、想念は虚空に保存されます。