ある秋の夜長のこと

さいきんいろいろしゃべってしまう

9月5日の晩は、知人の若者が修行に入るというので、友人からプチ壮行会をするからと呼ばれていったが、当の行者さんはおらず、主宰者の友人含め、その場にいた初対面の方々とお話をさせていただいた。

わたしはなぜか、問われるままに自分の人生行路のことを話していた。

こういうことはそれほどたくさんあることではない。(あまり寄席で話すことは、ない)

なんだか最近は「どうして〇〇に?」など問われることが多い。

9月4日には信者さん相手に同じようなことをしゃべり、信者さんは「先生それ自叙伝に書いたらよいのに」といったのだが「いやいや、まだまだ先ですよ」と笑っていた。

5日の夜は、どんなことを話したかというと、いろいろあるのだが、わたしは日本女性としての人生を歩んでいて、それは高野山に来てからも1年間は在家で仕事をしていたので、僧侶になろうと本気で思ったのは四度加行が終わってからで、それからお大師さまにお願いして「主体的に拝む尼僧の道を開いてください」というふうに修法で拝むこと半年。当時廃寺となっていた三石不動尊に出会う。

そうして3年間の実績をもって寺格を復活させて、住職としていまに至るが、ふつうの在家の日本女性がすぐにそういう意識になれるわけではない、、それはこんなことがあって、あんなことがあって、というようなことを実際にあったエピソードを交えて面白おかしく話したような気がする。

祈祷僧の仕事をするようになってからお酒は飲まないので、友人がいれてくれた冷たいカルピスを自分でつぎたしながら、調子よくおしゃべりしてしまった。

となりにいた宗教学を研究しているという背の高い女性がうんうん、それでそれでと頷きながら熱心に聞いてくれていたので、しゃべりすぎちゃった。

お盆の後にはいろいろな気づきが起こり、自分がなぜ高野山に来て、さいしょは広報のしごとで来たのにもかかわらず、なぜ僧侶になり、住職にまでなっているのかが、具体的に理解できたできごとがあったのだ。その気づきは自分にはちょっと精神的にきつい発見でもあり、半ば諦念するというか、やっぱりそうやったんやね、というか、これからもお人のため拝み続ける運命なんやねというか、そんなことを思ったのだった。

人間存在の二重構造

自分というのは意識のある自分だけで生きているんではなくて、それが表だとしたら裏の表明がある。この場合の裏というのは下心とか悪だくみの心とかいうことではない。

お不動さんと観音さんのような、全存在としての表と裏。表層と実相というのでもない。表と裏があって人間存在があるんだよ、というようなこと。

その裏側のことがたくさん見えてきて、ああ、だから私はいまこうしているんやね、あの分かれはこういう意味やったんやねとか、人生でいろんなことしてきたけど、いまこうして(経験やスキルの)貯金したものを使うためやったんやねとか、なんか、自分存在が自分存在でなくなったような気がしている。

もちろんお大師さんやお不動さんに動かされていると思っていままで来たけど、それ以外に、遠い先祖や私を守護しているさまざまな複数の魂もあり、そして無念の先祖もあり、そのような方がたがそろって、わたしをいまの場所、位置に押し出した、というか。

そこまでわかったら「自分がこうしたい」というレベルの問題ではなくなり「ああそうやったんやね、じゃあどこまでしたらご満足いただけるのだろう」とため息が出てしまう。

いのちのつながりって、こんなに重いものやったんやね、って独り言ちる。

独りごとに飽いたのか、ちょうど質問や能動的にきいてくださる人があったら、そんな思索からあふれ出たことばがひとりでに出ていた。

たくさんしゃべって友人もちょっと驚いたようで「瀬戸内寂聴さんもいろいろあったからなあ」っていうから、まだ寂聴さんと、(とくに異性関係とか文筆活動とかが主なんだろうけど)比べられたと思って、「いやいや、そんなんじゃないんやで~」と口ではあいづち否定してしまう。

後進育てについて

日本での伝統的な祈祷僧のおしごとと、横笛の会として(あるいは個人として)すすめている国際交流のお仕事がある。いろんなお仕事があるから、人手が必要で、それは誰でもいいというわけではなく、強い信仰心をもち、お寺をいっしょに運営してくれる方を育てたいと私は思っているけど、いまの社会のしくみと仏道のそれがまったく逆ベクトルになることが多いから、そうそう進捗するものではない。それなら自ら志願されて資格をとってこられた方をお迎えして実践的に拝めるようにご助力するというのもありだなと思ったりしている。

ゼロからの弟子育ても諦めたわけではない。しかしいまのところ時間がかかるだろうと思っている。

横笛サロンにて

9月6日は横笛サロンを開室。

旧知の友人で定期的に高野山に上がってくる方が来室され、つもる話を。

彼女自身の内面の葛藤を話されたなかでご供養が必要なのかなと思ったので大日さんをご本尊に拝む。

霊場についてのはなしや夢告についてのはなしなど。

わたしが高野山に来た9年前からの知人なので話も弾んだ。

わたしもバンコクのチャオプラヤ河でのできごとなどはなす。

わたしは水源や分水嶺に縁があるとのことも彼女との対話のなかで再確認。

おとこのこなら特攻隊、おんなのこなら遊女。

平和でない時代はとくに、そんな限定された生き方を余儀なくされることになったね。

「なんでこんなことしてるんだろうな~」って思う時。「お役目なんだからとにかくやらなきゃ」と思う時。そんなときが交互に来るのは、ある意味落ち着いたからだという彼女の言。

なぜ来たのか。なぜ残ったのか。なぜ拝み続けるのか。

最近のわたしが知らず、自問することを旧知の友との対話で、わたしたちは互いに癒されるのだった。