香木と自然
海に向かって弓矢を放ち香を抱きしめる
わたしは僧侶ですので、御香を焚かない日はありません。
それにまして、私は護摩師ですし、御香のワークショップを行っています。
塗香、線香、抹香、各種刻み香、複数の刻み香をブレンドした焼香。さまざまな御香があります。
高野山に移住した平成28年に、高野ブランド創出事業というしごとを請け負いました。
このおしごとは、おもに、高野山における伝統産業の担い手やその産品に注目して、地域活性化につなげるというものでした。そのとき一番最初にインタビューさせていただいたのが高野山の御香やさんの僧籍ももつ社長さんでした。
この社長さんはわたしを応援してくださり、おりおりに示唆を与えてくださり、大師教会で開催した、最初の御香の講座は社長さんとのコラボレーションでした。
沈香について、推古の時代595年の次のような言及があります。
あるとき、ぷかぷかと淡路島に漂着した倒木片。島の村人は、それを薪にして
火に投じたところ、たいそうよい香の煙があたり一面にたちこめました。
えもいわれぬ不思議な雰囲気が漂います。
「これはなんだ、薪とは違う」村人は意識がさえざえとします。
これは「沈水香」だったのです。
それ以降、香木が流れ着きそうになると、ひとびとは弓矢をもってそれを追いかけたとききます。
巫覡たちのはじまりではないかと思います。
海に向かって弓矢を放つ巫覡たちの背後には、赤い椿の花が咲いていました。
御香で密教を伝える
平成30年11月、胎蔵界加行の際に、「御香を使って布教をせよ」とのお言葉を
大日さまよりいただきました。
で、今朝(6月3日)の朝勤行後の瞑想では、「大日さんは不動さんなのはもちろんですが、大日さんは
お釈迦さまでもあられたのだなぁ~」と。ビジョンが教えてくださいました。
御香はインドにおいて発達しました。
インドの深い森では、古木につく虫などの理由で傷ついた樹皮に、樹木自らが滋養の脂を出します。
その樹脂が固まって、さらに化石になったものが沈香であり、さらに上位のものが伽羅です。
私がなぜ、修行僧時代から今にいたるまで、御香にこだわり続けるのか、御香は決して安易に誰でもが用いたり調合するものではないと言い続けているのか、これは仏さまがさせていることに間違いありません。
いまやもう、環境破壊が行きつくところまで行きついているから、インドにおいてもよい沈香はとれないし、伐採により森自体がやせているし、自力で脂を出せる木もほんとうに見つけるのが大変になっているとのことです。
すばらしい御香には無尽蔵のパワーが秘められています。
でも、それらは絶滅危惧となっているのです。
わたしたちはもっと、タフにパワフルにならないと!
それは人を蹴落とすとか、出し抜くとかそういうことの真逆にある「共生」の力を育むベクトルです。
人間の心は環境にすぐに映し出されます。
人間の心が浄化されたら、香木もまた脂を出してくれるようになる。
自然に香を発してくれるようになる。そんなふうに私は信じているんです。
きっと、この誓願は適うに違いありません。
いのりの力は自然の力をとりもどすこと
なぜ「いのるのか」それは
人間が破壊してきてしまった大自然にいのり
その力を取り戻すことだと思うんです。
究極はです。
だからもう人間中心主義のことは時代遅れ・・・
自然に対しておおいなる存在に対して、それが神のわざであることを心のそこから認めて
わたしたちを生み生かす自然に対して感謝の心でいのること
それがとても、現代人にとっては大切です。そしてこれは女性性が主導してできること
もうすでに究極の地点に立ち至っているのです。
わたしたち生き物は自然存在です
自然から生まれ自然にもどっていく
人間だって、動物です
人間だけが高尚というわけではない、絶滅した動物たちも
この先帰ってくることがあるかもしれません
わたしたちは過去現在未来の因縁律のなかで生きているかもしれませんが
一気に変化する地点がまもなく来るような気がしてなりません
そのときは森の中でたおれた香木から傷ついた場所に自ら脂を
出してくると思います。
その樹脂は黒光りし、土を照らし
生き物たちを驚かし
そして時間を香煙のなかうねるように戻していく
そんな自然界のしごとがねじまき時計の針を戻すように
ふたたび淡々と時を刻む音がきこえてくる
そんな予感がわたしにはしています
どこからか潮騒のにおいがしてきました