扉は閉じるが、また開く

ハーブのかおり

明日からリトリートなので、準備をしています。

それとひとつ、郵送しなければならない書類があったので、朝から書類づくりでバタバタと。

自分自身を紹介するために著書も入れたいなと思って、倉庫にとりにいこうと思ったら、かぎがない!で管理者さんに合鍵をかりにいったり、いろいろしていました。

サロンの観音さまを拝んでから、書類づくりにとりくみ、ひと段落したところでいま、これを書いています。会員さまが送ってくださった有機カモミールブレンドをおともに。すごくおいしいハーブティーです。

ひみつのはなし

ちょっと秘密の話を書きましょう。

平成28年4月~平成30年3月まで在籍した高野山大学大学院文学研究科密教学専攻修士課程。

わたしは東京埼玉にいるときから、高野山大学大学院に行きたいと思っていて、思案して3回願書をとりよせて、3回目の正直でようやく出したというような経緯があるんですよ。

都心での子育てや仕事でほんとうにあわただしい毎日を送っていましたから、「密教を勉強したいけど…やっぱりむりだ」そんなふうに思うことの繰り返しで10年が経っていました。

3回目のとき、これが願書を出す運命的なときなのですが、大学に問い合わせの電話をしたことがあります。そしたら見も知らない事務局のかたが「あなた、声がいいから通りますよ」といわれたのです。

論文と面接があり、入学することになったのですが、そのときの合格通知書の学長名をみたとき「縁がある方だ」と理由なく思ったのです。それはのちに、僧侶としての師僧となる方でした。

得度のときは、もう師僧は学長を辞されていたから、大学院に通っていたこととはそれほど関係がなく得度のきっかけは、最初「横笛伝説のお寺」ということで朝勤行に行かせてもらったことが直接のご縁になります。

密教の女神研究

それで、研究の話です。念願の大学院に入学できたので、平成28年3月末に移住してきてから、

しごとのとき以外は毎日、大学図書館に通いましたね。高野山大学の図書館は、密教関連の蔵書数は髄一です。本を選ぶのは書庫に入るようになっていて、なにかつらいことがあったときは、書庫に行くと自然と立ち直れた、わたしにとってはそんな場所でした。

さて、修士課程なので修士論文を書くことが重要なタスクです。一度中間発表を教授陣の前で行ってから、正式に論文にしあげます。

最初は非アーリアのことを研究したいと思い、それならと担当教官が「バジュラヨーギニー」について調べたらどうかとすすめてくださったのです。英文資料も含めていろんな資料にもあたりましたが、そのときの私には並々ならぬ興味はあるのですが、いろんな意味で難しいテーマで、最終的には「弁才天や善女龍王」などの日本の女尊の研究をまとめたという経緯があります。

日本の女尊についてまとめた論文でしたがしかし、自分では納得のいくものではなく、「もう一年通います」と言ったのだけれど、こんどは師僧が「一般論にはなるが、論文をもっとブラッシュアップして一年かけるといっても、たいていの場合、それほどレベルアップされたものにはならない。それならいったん卒業をして、必要な科目を科目履修生として受けたらどうか」といってくださったのです。

それからもバジュラヨーギニーをはじめとした密教の女神についてはアンテナをめぐらせていました。修士課程の修了後は、真言宗の四度加行にはいることになったので、事相一色になっていきました。さらに伝法灌頂を経て山麓の不動寺(当時)住職に就任し、横笛の会の事業や、お寺の運営ひとすじとなり、研究からは離れていくことになりました。

最初は博士課程に行きたいと思っていたのですが、チベット語やサンスクリット語ができないのであれば難しいだろうと担当教官がおっしゃったのであきらめたのです。

修士論文を執筆しているとき、担当教官が、「パタンなんか行ってみるといいよ」とおっしゃったことがあります。外国へのフィールドワークなんてできないと思っていたころで、「まだこどもが小学生なので」とわたしがいうと、「西洋の女性学者はみんなちいさな子どもをつれてフィールドワークに出かけているよ」とおっしゃいました。そのときの会話が非常に印象に残っていて、いまおもえば、そういうことに飛び出せなかったから博士課程にも行けなかったのかもしれません。

あれから7年。そのフィールドワークが今年中に実現することになったのです。一度しまったように見えた扉がまた開きました。そしてこのフィールドワークは僧侶としてのわたしも強くなる契機が含まれているというような・・・

お寺の法務ももちろん信者さんのあることですので、気を抜かずこなしていますが、この秋冬は研究にも時間をとりたいと考えています。

もう二度と、悔いのないように!