女性住職として生きる

描いたことは実現する

思い出すのは2014年、しごと(以前のしごと、編集ライター)でヨーロッパに渡航しました。

その際、子どもの頃からの夢だったオランダ・アムステルダムにある

アンネ・フランクの隠れ家をたずねました。綿密な計画を立てたわけではありません。

しごととはちょっと別のルートで寄り道しました。

思い描いたことは、いつか実現することがある、という箴言を地でいった

感じのできごとだと感じていました。

アンネ・フランクは世界的ベストセラー『アンネの日記』の筆者です。

回転本棚の中の隠れ家で青春の2年を息をひそめて暮らし

最後には強制収容所で15歳の人生を閉じます。

薄幸であったかもしれないけれども、その魂は永遠に生き続けている、

そんなアンネ・フランクをわたしはとても好きです。

私自身も、高野山に来る前の、もうその頃から、運命の波に引廻されるような日々が続いていたのです。

修行をする…?!

その不思議なヨーロッパの旅のメモに「修行をする必要性を感じています」と私は書いていました。

2年後の2016年3月末に、高野山に移住しまして、

地域づくりの仕事と10年来取り組みたかった密教研究を

はじめました。そして移住一年後には、得度して修行僧になりました。

地域づくりの仕事の任期3年を終える頃には、わたしは真言僧になっていました。

仏神の意思

お大師さまにお願いしたのは

「僧侶として生きる道を開いてください」ということでした。

真言僧は、至心、誓願することによって、それは実現していきます。

決められた僧侶の修行が終わった直後に出会ったのが当時、廃寺手続きが終わったばかりの高野山麓橋本市にある三石不動尊でした。

前の住職が「自由に使っていい」とおっしゃるままに、そこで拝み始めました。

そこは中央構造線(龍脈)上にあたるお寺でした。

半分、休眠に入られていた仏神が、おどろかれ、起きてくださる毎日の変化を

わたしもびっくりしながら拝み、みつめていました。

廃寺を復興する

三石不動尊は令和2年9月に高野山真言宗包括団体として復興しました。

廃寺となったお寺が1年ちょっとで復興することは、まずないということです。

そんなものなのかな、仏神がそう望んでおられたのだとしたら、復興してよかったと

思いました。

なにより、昭和30年ころ(倉庫でそのころの新聞を発見しました!)から、時間が止まったかのようなお寺で拝み、仏神の息吹を感じることができた、そんな

僥倖としかいえない僧侶人生の幕開けでした。

弘法大師21歳の修行の地で、お寺の代表となって拝み始めたときから、お大師さまのお見守りの中で、どんどんどんどん、仏神に引っ張られていった、そうとしか表現できない3年間でした。(令和2年、3年、4年)令和5年は宗教法人に申請手続き中です。

※宗教法人は、決まった場所での宗教活動を3年以上行い、その実績のうえで申請が可能になります。