バンコク滞在記③

納骨堂を拝む

3月2日11時~リヤップ寺の納骨堂を拝みました。

日本人会のお世話をされているM氏が、リヤップ寺のお隣にあるお花市場できれいな仏花を調達してくださって、わたしはお花をいけることにしました。

わたしが滞在中のお部屋としてかりていたホールから出て、納骨堂に行きましたら、すでに扉が開いていました。ご本尊のお釈迦様が思ったより近いところにあって、これは扉を閉めて拝んでいたときも、至近距離に近かったんだな…ということを思いました。

すでに空気感がビリビリとしていたので、わたしは自分を落ち着かせようと、一番感じる地下法場に行って、お線香やお灯明をきれいにしてみました。

身体に重いものがのしかかるような感じがしたので、なるべく見ないように心がけました。いつもどおり、いつもどおりと思うのだけれど、そういうわけにもいきませんでした。ぐっとこみあげるものがあるかと思えば、なつかしい感じもするというので、自分自身も混乱してきました。

ようやくすわってこの納骨堂のみなさんのため、また辻政信氏らのために拝むことになりました。

3月1日に、外から2座拝みましたが、2日はそれとほぼ同じ次第を1座拝みます。1時間の時間が与えられていましたので、じっくりと拝みましたが、内容はほぼ忘れてしまいました。汗にまじって涙が流れたようにも思えます。

汗は暑い国とはいえ、瀧のように流れました。

その間にみたことかんじたこと聞いたことは思い出せませんが、おわるとM氏はこみあげるものをお隠しになれないご様子でしたので、M氏にお加持をさせていただきながら、すこし移民のエピソードをお聞きしました。

わたしたち人間には、さまざまな生き方がありますが、移民の人生もまた、波乱万丈なものでしょう。

見知らぬ国へ一族で一旗あげようと一族で移住し小売店などを営んだ人もいます。

からゆきさんのような家族とわかれて単身海を渡った人もあったでしょう。

移民どうしの軋轢もあったでしょう。

タイ国と日本の関係は長く深いものがあります。戦後は企業などが支社をおいて、日本のビジネスマンもたくさん住みました。

その中で、小売店などが駆逐され暮らしが圧迫されたこともあったはずです。

一口に移民といっても統一できないいろいろな心があふれるように迫ってきた一座だったのだと思います。この一座の前と後ではわたしの細胞は変質したと思います。

詳しく法要の内容を記すことができないのが残念です。(覚えていないから)13時前に終了。

拝みの余波つよかった

法要のあとは、その動きが強すぎたので、夕方まで、脱力感や動悸や瀧汗が続きました。

バンコク在住の信者さんに、節分祈祷札を送ったり、バンコクにあるインド料理屋さんで落ち着くためラッシーをいただいたりしました。

リヤップ寺ではこの日、夕方なんらかの法要が行われていて、人々があつまっていました。

そうそう、書き忘れていましたが、3月2日の朝の勤行では、社会人になる前に修行を体験するという若い人たちの修了式のようなものが行われていて、見学できました。この中の一人の若者が日本語が話せたので、うまくつないでくれた感じがあります。少しの邂逅でしたが、感謝しました。

翌日、リヤップ寺のお坊さんと話したとき、「納骨堂を拝んだんだね。気にかけていたよ」というようなことを言っていただき驚きつつうれしくおもいました。僧侶は国境をこえて繋がれるんだなとわかりました。

3月2日がぶじに終わったことで、バンコクに再びやってきたミッションは半分以上終わったような気がして、ぐっすり眠りました。