わたしは護摩師

最初から神秘だったお護摩

平成31年3月に、真言僧侶の資格をとるための基本の修行、四度加行で、はじめてお護摩を行じました。高野山にある寺院にてお護摩を行じましたが、最初から神秘体験がありました。私はお護摩を専門にするのかな、という思いが芽生えたのは、だから加行のときです。加行の中盤では、お不動さまのお軸が空気の塊が飛び交う中で舞い上がったり、また結願の座では、盤石のうえに自分自身が座っているかのような認知が起こりました。瀧水の音が聞こえていたのです。

さて、お寺をもってからは、毎月1回以上の護摩供を行ってきました。最初は護摩堂がありませんでしたので、屋外に護摩壇を毎回出して、金剛線も毎回結んで行じておりました。4年で50回は行じたでしょうか。護摩木を割ってくださった信者さんもあります。

お護摩によって寺院が復興になったと私は感じております。(2年半が過ぎたころから伝授いただき、日々とりくみはじめた内護摩もふくむ※中村公隆和尚の伝)

私はお護摩が好きであると同時に、なんだかすごく自分にあった行法なんだなと感じるまでに時間はかかりませんでした。

信者さんがおっしゃるには、わたしは護摩行に集中しているけれど、山田川の銀杏の木のそばに安置されている波切不動さんの祠あたりから、遊女さんらしき女性たちが次々に上がってきていると言った方もあります。たしかに、最初はどこかよどんだ空気があった波切不動祠周辺はいまはとても明るくなっています。

さらに別の信者さんが護摩堂をリニューアルするといって、いきなり解体作業を始められたときには、わたしは外法務から帰ってきて急いで護摩壇を出し、解体作業が終わるまで護摩を行じ続けました。そのときは爆発のような形で智火が虚空に向かって飛び出すような形で炎が空を舞いました。

写真を見かえしてみても、お護摩は神秘体験が出やすい行法です。

最近のお護摩

ここで令和6年になってからのお護摩祈祷を振り返ってみます。

12月はインド巡礼に出ていてお護摩を行じなかったので、1月早々に一回目を行いました。信者さんがしたためられた護摩木がたまっていたので、それらを一本一本ご祈祷いたしました。

さらに、2月3日は節分祈祷の結願として外護摩を行いました。節分の厄除け祈祷札はだいたいお送りするのですが、厄年などで参座を希望された方が5人いらっしゃいました。みなさまの一年間をおまもりする護摩札を45枚ご祈祷しました。

このときはみなさん緊張されて、1~2段目はなかなか火が上がりません。2段目でご真言をお唱えしていただくようにして、緊張を解いていきますと、3段目の本尊壇では大きく火があがり「炎が生きているみたいでした」と感想をお送りいただいた信者さんがありました。

3月19日には、きたる5月3日の慰霊祭へ向けて開白の意味あいの護摩供を行いました。慰霊が必要な御魂を護摩札に集約しました。このとき、参座された信者さまは、おこしになったときは杖をついて歩いておられたのに、お護摩が終わって帰り際には、椅子を持ち上げておられたりしたのは驚きました。この方々は大変喜んでくださいました。

4月1日には、この記事を書いている日ですが、5月3日の慰霊祭が滞りなく執行されることを祈って祈祷を行いました。また、関係者の健康も祈りました。2枚目の護摩札にふたたび慰霊祭のための集約を行いました。写真は4月1日の智火です。

瞑想を長く入れるのと、すみやかに次々とさまざまなお供えを入れるのが、両立しにくいと改めて思いました。神々より、おそなえはすみやかにいれてくださいと言われます。

対して、仏になるための瞑想はお護摩行中入りやすいのでついつい参座する方がないときは長くとってしまうのです。深く瞑想に入り、つと気が付いて、「早くお供えをしなきゃ」と手を動かすいう独特の境地にいます。(言葉で説明しにくい…)

一つひとつ瞑想によってご神仏に、疑問点を確認していきますと、だいたいはすぐにおこたえいただけます。とてもビビッドな時間をご神仏とともに過ごすことができるのです。

まだまだ護摩祈祷の奥は深く、ことしは弁天護摩にもチャレンジ予定です。伝授はいただいており、あとはお軸をつくってみたいと考えています。わたしが感得した弁天さんのおすがたを再現できたらと思っています。