お坊さん生活5年、4月からピカピカの6年生だわ!

なんだかんだと、高野山に来てから人生が考えもしない方向へ動いて、僧侶生活も5年です。

廃寺だった山寺を復興したことで何度か新聞の記事にしてもらったり話題になっていますが、

わたしのお寺は、檀家のない祈祷寺・信者寺ですので、そんなに安定はしていないかわりに、比較的斬新な僧侶活動ができているようです。

もちろん宗教法人までもってくるのは別の記事でも書いているように日々、たいへんでしたよ。

いまは、お部屋(プライベートルーム)のある高野山と山麓のお寺(宗教法人 三石不動尊)の二拠点生活に落ち着いていますが基本的に休みはとらず、毎日おしごとしています。

比率でいいますと、高野山が三分の一、お寺が三分の二というところでしょうか。

高野山での活動は紀州高野山横笛の会の活動がほとんどで、信者さんと一緒に祖山や周辺各地を

観光でおこしの方とご一緒に参拝したりすることや、横笛の会が提案する各種密教文化ワークショップや講座をお受けいただいたり、近隣の方は定期的に短めの加持・祈祷を受けにきてくださったりする方もあります。

さらに、DMMオンラインサロンを開設していますので、オンラインでのご祈祷やサロンライブなども最近は重要なタスクとなっています。

お寺ではもっぱら、ご祈祷とご供養です。お葬儀や護摩祈祷もあります。

そんなこんなで、毎日ぱんぱんと詰まったスケジュールをいっしょうけんめいにこなしてきた5年間でした。(最初の1年間は住職権はありませんでしたが、山麓のお寺と丹生都比売神社へお手伝いに行っていたので、動くサイクルとしては同じような感じでしたね)

高野山へ来てから8年です。最初の3年は高野ブランド創出事業を担当。これはお給料制でしたので、まぁ委託業務とはいってもサラリーマン的生活。むすこも小学生でしたし、出張や買い出し以外、ほとんど高野山の外へ出ることなく過ごしていましたね。

高野ブランド創出事業の任期満了後は、紀州高野山横笛の会は起業ということで、当たり前ですがお給料はなくなり、個人事業の経営者に。だから休みはとりませんでしたよ。

ときどき拝むことは休んでも、関連する勉強や事務作業、執筆活動にあてる必要がありました。

一番思い出深いこと

この5年間で一番思い出深いことは何でしょうね。

いろいろありますが、一番というと、このエピソードかもしれません。

僧侶2年生、息子が中学一年生のときのこと。

息子はわたしが僧侶になることを望んではいませんでした。

ふつうのお母さんでいてほしかったのでしょう。いまだからいえますが、思春期には

ずいぶんと反発や反抗期がありました。

コロナ禍の中ではじまった息子の中学生活でしたが、秋には大阪へバス旅行に

行ったんです。それも国立民族学博物館へも行ったようでした。

わたしとは当時、あまり話もしませんでした。

しかし、国立民族学博物館で買ってきたのであろうものを

黙って私がみえるように箱を掲げたのです。

「使う?」かなんか小声で言った感じがしました。

「なあに?」みてみると、インドのお線香でした。

紫色でたいへんよい香りのインド香。

反抗期まっただなかの息子でしたが、わたしの好きなものを知っていて

それをお土産に買ってきてくれていたのでした。

たいへんうれしくて、そのお香は大事な場面で燻らせましたが

まだ少し残してあります。

それからも反抗期は続きましたが、高校生になった今では

母親の仕事への理解もさらに進み、穏やかになり、自分は自分で好きなことに

打ち込んでおります。

二番目に思い出深いこと

コロナ禍まっさいちゅうの折、令和3年の春のはなし。

和歌山市から高校生が曼荼羅講座に団体で

来てくれたことがありました。

70人くらいでしたか、生徒さんたちはコロナ禍のため修学旅行にもいけず、

なんとかこの高野山に研修旅行にくることができたとのことで、

当会の曼荼羅講座に来てくださったのです。

わたしは会員のドイツ人女性であるアレナさんに助手をたのみ、

また信者さんのカメラマンさんも記録のための撮影に来てくださって

久しぶりの大人数の講座にはりきってとりくみました。(写真)

みんなマスクをしたまま一生懸命にとりくんでくれました。

かえりぎわに「たのしかった~」ってこころのそこから言ってくれた

声とことばを聞いたとき、コロナ禍でいろんな我慢をしいられている、修学旅行もいけなかった

ティーンエイジャーのこころの声として、お伝えした私にもこれほどうれしいことはありませんでした。あのとき来てくれた生徒さんたちは、おそらく成人しているころですね。

三番目に思い出深いことは

令和2年12月の住職辞令親授式でしょうね。

前の晩、如法衣に念入りにアイロンをあてているわたしをみて

「すごい緊張感だね」というようなことを息子からいわれました。

前年の伝法灌頂と比べて、まったく意識が違っていたのを

覚えています。

こちらもコロナ禍の中、マスクをしての親授式でした。

いやはや、あっというまの5年間でした。

つぎの5年間もかわらず自然体で、懸命にかけぬけたいですね。

日本だけでなく、海外でも活動するという目標をもって

進んでいきます。

どうぞ支えてくださいませ。合掌 拝