令和6年4月第一週 ご祈祷の記録

多岐にわたるご相談内容

1日はお護摩(すでに記録済)、2日~5日は、打ち合わせや勉強会や庶務でまたたくまに過ぎ、6-7日の三石不動尊での土日のご祈祷についてここでは記録します。

三石不動尊のじもとの信者さまは橋本市、かつらぎ町、九度山町の方々。

大阪や京都、関東からも口コミでおこしになる方々はおられますが、この週末は地元の信者さまばかりでした。

婚家と実家の仏壇の置き方とか拝み方とかタブーとかは、多くの場合がその時代精神に基づいた、習俗であり、仏教開祖のゴータマシッダールタがおっしゃっていることではないです。

でも長い間、日本の文化・習俗としてなされてきたことは、御霊の世界でも定着していることが多く、施主さんが「やってあげたい」と思うことで、無理なくできることはなされたらいいというのが私のアドバイスです。

拝み方については、ご相談をお聞きして段階を経てご指導させていただきますので、どうぞご相談くださいね。

土曜日はまた、予約なしで常連さんが見えていました。

御瀧にあがられてから本堂で短いご法楽にご参加いただき、おはなしをしました。

前回3月19日に護摩祈祷に参座されてから調子がよいとおっしゃって嬉しかったです。

日曜日にはご予約の常連さんがこられました。

三石不動尊の女性信者さんは、どこか巫女的なところのある方が多いです。

わたしも基本的な体質はそうですが、御霊を拾ってきてしまうのです。

通常の女性なら、体調が悪くなるとか痛みがでるとかがよくあるパターンで

憑いたものをおろすご祈祷を定期的に行っていきます。

二日間の法務が終わって、橋本市街に出て紀の川で夕日をみるといつものことですが

「生きているな」という明るい気持ちがします。

標高270の三石山内の祈祷寺はこの世とあの世のはざまみたいなところがあって、霊域の緊張感がいつもあります。だからご祈祷場なんですが、泊まり込みの法務などで二日ぶりに街におりると、独特の心持がします。

旧い丹生家の潮流を宿すお寺

4月6日の早朝には、丹生の本家の弟さまにあたる方で、以前、橋本市長もなさった方がご逝去されました。5日から丹生の本家の方が御祈願にこられていました。三石不動尊の三代前の住職は丹生家出身の尼僧でした。

木下さまは、わたしが三石不動尊の住職になった年の4月、毎日新聞の報道をみて、お瀧がなつかしくなった、子どものころいつも遊んでいたとおっしゃって杖をついておみえの日がありました。

おつきのかたが、「前市長がお瀧にあがったかもしれず、いつまでまってもおりてこない」とすこし慌てておっしゃったので、わたしは法衣のままでお瀧参道を上がりました。大威徳明王祠の前に木下さまがいらっしゃり、「みんな心配してますよ」と笑顔で申し上げましたら「子どものころから知りすぎた場所だから大丈夫」とおっしゃいました。80歳を過ぎておられました。

訃報が多く、寂しい気持ちになりますが、6日夜には木下さまのご冥福を拝ませていただきました。

5月3日に予定されている「土砂加持法要 戦犯戦没者供養慰霊祭」の準備のために、修法の復習をしながら、香の護符をつくりました。

ワークショップのためのキットと、ご祈祷や供養にこられた信者さんにお渡しするもののがあります。わたしが調合するものは、信者さんの症状にあわせておつくりしています。

いま使っている青い布はバンコクで入手してきたものです。

高野山でも相談&祈祷ができます

以上は週末での寺院での相談&祈祷活動ですが、高野山横笛の会でも同様に、交流サロンにて、相談&祈祷を行っております。

各種ワークショップや密教文化講座もご予約にて開催しております。

また、オンラインサロンでは、まもなく女神講座を開講予定です。

どうぞさまざまなチャンネルで佐藤妙泉の宗教文化講座をお楽しみください。