令和6年3月もそろそろ終わり…

早すぎる日々

まだ慰霊旅行記としてまとめきってはおりませんが、3月1日~4日までタイ国・バンコクの寺院で過ごすことができ、帰国後は日々の法務や活動をこなしていき、3月19日には5月3日へ向けての慰霊の開闢にあたり、予定どおり、ぶじにそこを通り抜け、24日には御魂宿る護摩札を胸に入れての御瀧行を行うこともできたのですが、それにしても、ときのかけぬけるスピードがはやい、はやすぎる!ということが実感です。高野山は20日、春の吹雪もありました。

本業では病気平癒祈祷や手術前祈祷、痛みの軽減の祈祷、事業の推進、その他遠隔では恋愛ができないのはなにか理由があるのか?といった相談&ご祈祷など、いろいろな案件を拝ませていただいて、アップダウンの激しい3月、もう本日は26日になりました。あすから三石不動尊では、定例お不動さまのご縁日の縁日祈願に入ります。

予定外・予想外のできごと

じつは、広い意味でのお弟子さんとして迎えた方が、三石不動尊にしばらく住んでおられたのですが、体調不良が重なったためご実家へ帰したということがありました。彼女は慰霊祭の5月3日まで滞在するということだったのですが、予定外となってしまいました。この経験で、いくらしっかりしているとはいえ、得度をしていない普通の女性を、神域・霊域でもある修行の山寺におくということの無理をまざまざと知った形です。

また、野球をしている高校生の息子が練習中に頭の打撲をして、打撲後、24時間の様子をみるため、わたしは大事な法務を休んでしまったということがありました。さいわい、息子は大事はなく元気ですが、この経験では、家族になにかがあると、仕事もできなくなるということがわかりました。これは精神的にも物理的にもそうです。とくにまだ未成年の息子ですので、二人暮らしの我が家では、どちらかに何かがあると日常が動かなくなってしまいます。

仏さまに支えられて生きてきている私たちにも、とくに現代には、何が起こるかわからない、細心の注意を払いながら生活を組み立てていく必要性を上記の件から学びました。

再来月の慰霊祭に向けて

きたる5月3日には、辻政信氏と七人の僧、さらには英霊、戦犯とよばれた方々で成仏を期する御魂をおよびして、御慰めし、すっかり思い残すことなく上がっていただこうという法会を予定しています。そのための僧侶間の打ち合わせが4月3日にあります。ここはしっかりおさえたいところ。がんばってきます。

ここまで振り返りながら書いたところで、3月に2回痛み軽減のためのご祈祷で来てくださった方のお一人から連絡が入りました。2回目は護摩祈祷に参座されたのですが、「すごいよかった!龍神さまがみえたよ」と高揚したごようすで、ほんとによかったと思いました。

「喜んでくれる人がいるのならやりなさい。だれになにをいわれても、信念もってやりなさい」と師匠が言ってくれたことで私は心を強くもって、推進しています。そんなときにも、悲喜こもごもたくさんのことはあって、たぶん今は、こうして書いていても、落ち着けない心境なんだと思います。

遠い将来の夢

今日はサロンでしたがインドの知人の尼僧さんとやりとりをして、彼女は「日本にきたい!」また「南インドにきて!」と。わたしも彼女のことを昨日、思い出していたところだったので、これもシンクロニシティ。「インドへは一年に1回は行きたいね」と先だってのお仲間さんともお話していて、わたしたちはこれから、この時代の大転換期に、地球規模で連携をして、さまざまな新しい局面へと向かっていくんだなあと思いを強くしています。

サロンで一人のとき瞑想をしましたら「いまはすこし力をためておきなさい。また力を出さなければいけないときのために。進み方、いまのままでいい。不安を感じることなく進みなさい。そしていくら時代の進み方がはやくとも、振り返りをやりなさい、地平線に目標を定めて進めば間違いないから」と出ました。わたしにはまだ誰にも話していない夢があるんだけれど、その夢もいつか適っていくのかな。

それは自分自身が100%信じることができるか、信じていける「勇気」をもつことができるかが鍵になるんですね、きっと。ご祈祷もそうです。人のことのほうが自分のことより、信じやすかったりするのは、職業がら。

辻政信氏等の慰霊をすることが、新しい日本の立ち上がりへのパワーに転換することができると私たちは信じているけど、それができたなら、きっと自分自身も夢に近づくんだろうなとも感じます。だって私たちは全体の部分だから。全体が光なんだとしたら、私たちもひとつひとつのお灯明です。なにかを照らすことはできて、集まれば大きな光にだって変われます。大きくなり、また等身大になり、そんなふうにして癒しの波動は生まれては進んでいくと思っています。

日々の感謝、夢と希望を忘れないこと。周囲の人たちへの慈しみ。

そして自分自身をたいせつにすることも忘れないこと。

自分の心身へ、よくがんばってくれてありがとうと、客観的に撫でてあげたりするといいんです。

「だいじょうぶよ、がんばってきたね」と。自分自身が心から言ってあげることができないなら、人からそうしてもらえることなんてないのだから、ね。

写真:金剛ターラ(緑ターラ)