密教の法力について
真摯に拝むことで超能力を得ることはある。
それは密教でも「法力」という。
神的な力のもと、それがあらわれることは古今東西たしかにある。
高野山は、もともとそういうお山でもある。
超常的な法力、それが発現したのなら、人のために用いなさい。
人がよろこんでくれるのであれば、あなたの力として使っていきなさい。
ただし、それで天狗になってはいけない。
だんだんさらに大きくみせようとして人をだますようになったら
マスコミで騒がれるような問題となってしまいかねない。
そうではなく、よろこんでくれる人のために一生懸命にやりなさい。
法力を用いることにより、なにか言われたとしても
自分自身の信念を強くもって進んでいきなさい。
ただし、神的な力をいただいて、それを人のためにおろして
いこうとする道は、かなり強固な意志がなければ続かない。
法力を得るためにこうしなければならない、ああしなければならない
といった思いにからめとられたりするとき、
とちゅうで頭がおかしくなってしまった人は歴史的にすくなくない。
行うならば、信念をもって誠意を忘れず進むことだけだ。(師匠との会話より抜粋)