ネガティブ問答の嵐
揺れ戻し
最近のおはなし。
「高野山に来てよかったの?」
「お坊さんになってよかったの?」
「住職になってよかったの?(わたしは橋本市にある三石不動尊の住職)」
「親しみやすいお坊さんになろうと思ってよかったの?」
「祈祷僧をめざしてよかったの?」
もうね、オールネガティブです。。。
なにか入ったのか、憑いたのか、はたまた疲れただけなのか一向に
わからないけれど、こんなに自問自答してしまったのです。。。
反転、揺れ戻し…数日間ずっと…
そんな感覚が続いていたのだけれど、21日には恒例の東寺さんにご修行に出かけて少し
もちなおしたけれど、かえってきてまた法務、法務と続いていって
さらなるネガティブに。
でね、ネガティブマックスのとき、夜、朝、とろくなごはん食べないで拝んでいたら
信者さんがお弁当をもってやってきた。それも、常連さんではない信者さん。
その方々が「いっしょに食べましょう」というので
ありがたくご相伴にあずかることにしてね。。。うれしくて涙ぐんじゃったり。不思議なお昼ごはん。
まだ比較的新しかった、ぞうりの鼻緒が切れた。
あ、もうきたな…
巫女体質
そんなこんなの10日間くらいだったけど、4月25日になると、すうっと消えて、26日は雨もようだったけれど、かえってじめじめせず、
すっきりして、大事なお客さんを比較的よい状態でお迎えすることができた。
すうっと抜けていった。もうなにもいうことがなくなった。
いったいなんだったの?
この巫女体質は、やっぱり変わっていないな。
ある一定のところまで溜まったら、風船がはじけるように霧散する。
逆にいうとそこになるまで、ためておかなきゃならない。
このあたりがしんどいときなんだけれど、お坊さんになってから、とくに住職になってからは
そのときは数日間でも長い長い一日を生きているような感じがして拝みこむとすっきりするときも
あるけれど、さらに蓄積するときもある。
ためる体質、巫女体質。
霊能なんてものは
巫女は他者の塵汚れを大麻で祓い浄める。
目に見えないことなので、だれにもわかってもらえないことが多くたって、静かなしごとをする。
ただ自然に行う。いじわるな人が邪魔をする。それも自然の一部で…
そして冒頭のネガティブ問答の回答。
地鎮祭での修法をよろこんでくださった信者さんのメッセージで突如、立ち直る。
「妙泉さんのお経は必要なひとのところに自然に届いてく」と。病気の近所のひとにも届いていたというおはなし。伝わったと思えると癒される。
こうして、理解を深めてくださる方、真の信者さんのひとりひとりの存在が、今日も祈祷僧のわたしを支えていて。
ひとまわり強くなった尼僧は、自分自身の足裏をしっかりと地面につけなおして、
「たぶん、これからも、どんなこともこえていけるんだな、踏ん張っていけるよ」と納得&誓願するのでした。
こういう粘りも巫女体質かな。お坊さんになる前も、こんなふうに生きてきたんだな、わたし。
自覚はしていなかったけれども。霊能なんて、おおげさにいうことじゃなく、そんなもの。
あ、報告、新しくて履きやすい草履を手に入れました。
まぁ、そんなこんなで、なんとか行くさ、と思える今日このごろです。