弘法大師と瀬織津姫
弘法大師はなぜ瀬織津姫たち祓い神を十一面観音様の中に隠したというか、封じたのだろうか。不意にその疑問が湧き上がってきた。
2019年夏に私に六甲からついてきた祓い神は、一旦、同年秋に、熊鷹神の後ろに隠れ、私に十一面観音のおすがたを見せた。
私はその時、熊鷹神は、不動存在なのだと気づき、空海が隠された神々が、まさかそこにおわすとは、その時は思ってもみなかった。
熊鷹社を動かす前に、わたしが響き出した祝詞は、いつになったら私たちを、見つけてくれるのという、悲痛な叫びだった。だから熊鷹社を動かしたあとは、祓い神たちが安心して寄れる、姫神社を建立した。(令和七年九月建立)十一面観音からの自立もこの時だ。わたしは令和二年10月に、自ら十一面観音を高野山に勧請し、町民さんの見守るなか、開眼供養をすでにしていたのだから。
わたしは令和五年十二月の辻政信氏のときのように、依代になることがよくあり、姫神たちはあの夏(令和元年)、たしかにわたしに憑いて、高野山まで来て、さらに秋には弘法大師旧跡の御瀧がある場所を選んで宿りなおしたといえるだろう。それは引き続き、空海との和解のためであった。いや、空海そのお方の誓願であった。令和七年、封じは解かれた。わたしはただ、依代であった。
