引導の一つの真実
自分自身の中に阿字があって、そこに供養する方が宿られて、お位牌などをしっかりと自分自身の場所にしていただくときには、お経や御真言で押し出す感じにする。引導のお次第などは、これを行うために様々な作法を行っているようなものだと思う。入られるときは、肉体的、物理的には、導師は、ぐっと、自分とは違う異物が入ってくるわけだから、言い方が適切かわからないけど、吐き気のようなものはする。しかし阿字で受け止めたら光にだんだんなっていって、一生懸命念じていると静かになってくるのだ。人間が100年近く生きるとは、本当に大変。1人の人のことをちゃんとわかろうとするなんて、本当に不可能に近いと思う。1人の人間には本当にいろんな側面があるのだから。