高野山10年 「たかが10年、されど10年」
わたし(佐藤妙泉)は自分のお部屋のある高野山に住んでいますが、弘法大師旧跡三石不動尊は橋本市山田にあります。ここは弘法大師が21歳のときご修行なさった御瀧を拝む場所であり、山中の祈祷場です。生活する設備はありませんので、わたしは2016年に総務省事業地域おこしの「高野ブランド創出事業」担当者として移住してきて以来、一貫して高野山に住んでおります。
高野山で嶽の弁才天を拝むことも祈祷僧としての大切な行うべきことですし、高野ブランド創出事業を3年間で任期満了して、定住のときに行政の支援のもと立ち上げた「紀州高野山横笛の会」はいろいろな観光事業を今もしています。だから私は、高野山を拠点としてさまざまな活動を行い、祈祷の予約があったときと、行事のときには三石不動尊に行くというスタイルが定着しています。三石不動尊は私が令和の再建をし、いまは佐藤妙泉が住職です。このあたりの住職は、過疎化もどんどん進んでいることから、一般的に 1人の住職が複数の寺院を兼務しているのが、現状です。横笛の会はお寺ではなく、文化団体でありますが妙泉もまた、 2つの組織を兼務していると言うことになります。
さらに、この地域(伊都橋本地域といいます)では、山麓の街(橋本市やかつらぎ町、九度山町)から高野山に仕事のために通うという方はたくさんあります。わたしは、高野山に生活の場を置き、両拠点でしごとをしているわけです。
高野山には10年、息子とともに住んでいますので、荷物も来たときよりは多くなりましたし、山上は生活するにはもちろん不便なこともたくさんありますが、それも含めて慣れています。紀州高野山横笛の会に来てくださる方も増えていますし、私に一番よいスタイルをお大師さまに決めていただいたんだなと思います。だって、高野ブランド創出事業を任期満了して、そこから今住んでいるお部屋を決めるときだってほんとうにお導きだなあと思うことだけでしたから。
三石不動尊にはもともあった本堂のほかに、神様のお社を二社、屋内社としてお祀りしてありますし、護摩祈祷もできるようにしてあります。令和7年9月28日におまつりした姫神社は、いまはこどものお社で令和8年春には大人のお社へ成長することでしょう。いまは神様をお育てしている段階なので、静かにしていただくようにしています。本堂では祈祷や供養をしています。それに加え、修行のため、祈祷のための場所だから、わたしは自分の日常を持ち込まないようにしています。遠方から病気平癒祈祷やその他の切実な願いをもって来られる方もあるので、いつでも本格祈祷ができるように大切に整えてあります。
そして、自分の居場所である高野山の自室にも、拝める場所を調えております。いわばわたしの持仏間なので、朝や夕の拝みはこちらで行うことも多いです。嶽の弁天さんへの修法もこの部屋で行いました。多くは祈祷僧としての自分をととのえるための場所ですが、紀州高野山横笛の会の会員さんや何度も来られるゲストさんは予約でおまいりできるようにもしてあります。私個人にとってはいつのまにか、高野山のこの場所がとても大切な場になっています。
この二か所だけでなく、わたしにはそのほかに、いろいろな祈祷する場所をもっています。祈祷僧とはそのようなものではないでしょうか。目的や方法によって場所も変わってきます。お大師さまもそうだったのです。
※写真は、高野ブランド創出事業担当者のころです。