11月25日吉祥降雨

朝から高野山は雨です。午前と午後に大事な事業打ち合わせがあり、お世話になる方々とはまだ今年は少しあるけれど、もしかしたら今年最後のお目にかかる機会になるかもしれず、良いお年をと言うご挨拶になることもあります。今年令和7年は念頭にあった事業をほとんど行うことができてほっとしております。令和8年には大きな行事が立て続けに予定されていて、さらに気を引き締めて進んでいく1年になると思われます。紀州高野山横笛の会も今年8ページ冊子を発行しますので、来年は『信じること愛すること』の2冊目と商業出版物を1冊出すことが誓願です。おそらく5月の焼八千枚護摩供を終えたあとに、書けるのではないかなと思います。私ができる事は、女性住職として真摯に拝むことと同時に前職のスキルを生かして本を残していくことも大事な仕事だと言われることもあります。ようやく自信を持って自分の道を進めるようになりつつあります。これからが本番です。品のない真似をする人はたくさんいても、私の仕事そのまま同じことをできる人は誰もいません。


新しい器と歩むこれからの道

10年間、家族と共に高野山で過ごし、暮らしと祈りを重ねてきました。日常で使っていた小皿を、必要に迫られて浄塩のお供えに用いたのは今年の8月31日のこと。その器は3カ月間、祈りを支え、やがて割れることで役目を終えました。お焚き上げで感謝を込めて送り出すとともに、新しい九谷焼の器へと祈りを移す流れが整いました。

この出来事は、まさに「区切りから新しい始まり」への象徴でした。息子との10年間も来年3月で一区切りを迎え、彼は自立の第一歩を進んでいきます。そして私自身も、令和7年12月から全国縦断講座の開講、インドでの講演、荒行護摩、さらには商業出版へと歩みを進めていきます。

割れた器が新しい器へと祈りを受け渡したように、家族の時間も新しい段階へと移り変わっていきます。来年55歳という節目を迎える私は、柔らかな草のような心で、自信を持って進むことを決意しました。草は風に揺れても折れず、雨に濡れてもまた陽に向かって伸びていきます。そのしなやかさと謙虚さを胸に、後世の人々に役立つ言葉を残すために歩み続けます。